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温泉芸者のすべて その二

温泉芸者のすべて その二_f0347663_15042186.jpg
温泉は長きに渡って保養、療養いわゆる湯治が目的で、これが慰安、
行楽、遊興として利用されるには、鉄道旅行の発達による温泉旅行の大衆化が不可欠でした。

国有鉄道、民営鉄道の旅客輸送量は明治23年頃から増え始め、大正に入るとその上昇カーブはさらに拍車がかかりました。

明治初期年間入浴客の全国合計は370万人が大正期には1681万人と飛躍的に伸びました。

これに対し湯女の歴史は『色音輪』に「湯女は、もと、諸国の温泉にありしがもとなるべし」とあるものの、その後江戸期に於いて、京都、大阪、江戸の町湯、町風呂の湯女が酒宴の相手を為し、色を売ったもので、ここで言う温泉芸者とは別の系譜になると考えます。

平山嵩『温泉建築』に「温泉地の旅館は元来湯治を目的としたものから次第に遊山、行楽、慰安、保養等を主なる目的とする様に変じて来た。この事実は旅館がさうせるのではなくて、時代、世相がかくさせるのである。大正より昭和にかけて特にこの傾向が著しくなったかの感がある」と、温泉の転換期を示唆しています。
『温泉芸者一代記』井田真木子著によれば、温泉芸者おかめは大正の末、湯河原温泉で者置屋兼特種飲料店の赤ペンという店に、十六才で四年年期八百円の前借金で義父より売られてきました。

正式な名まえは栄屋ですが、拡張した家の周りを赤いペンキで縫ったので通称として赤ペンの呼び名が定着しました。

赤ペンには酌婦と芸妓がそれぞれ七、八人ずつ住み込んでおり、酌婦は常時売色をし、年期で売られてきた芸妓も、年期中は随時客を取ることを強要されました。

赤ペンに付着いたとき、おかめは赤ペンの主人と年季奉公の証文とは別に、売色を含むあらゆる稼ぎによって、前借金を主人に返済するという念書もかわしました。

赤ペンの芸妓の中には、芸の修行を目的に、年季奉公でなく自由意思で働いている若い芸妓、歩合で働くベテラン芸妓も僅かにおりましたが売色は強要されませんでした。

酌婦は表向き料理屋の女中ですが、実質遊女です。昭和六年、内務省警保局『公娼と私娼』の私娼窟所在地別調に湯河原町字宮上に飲料店四、私娼数十になっております。これは上記の酌婦をさしているはずです。これに数字に現れぬ、年季奉公で働く芸妓が加わるわけです。

温泉芸者が何時から台頭してきたか、私の調べている限り、今の所この赤ペンが世に出たのが大正の初めとの事なので、明治の終わりごろと思います。

夏目漱石が『ぼっちゃん』で、道後温泉の芸者と座敷でのやりとりがあるものの、これは同輩うらなり君の送別会の席での事で、これは旅行客相手の温泉芸者というより、地元の有力者や官公庁の接待の為の土地の芸者という事だと思います。


『近代ツーリズムと温泉』関戸明子著、『東西浴場物語』
温泉芸者のすべて その二_f0347663_15030240.jpg

by gionchoubu | 2021-06-14 15:06 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)