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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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八日市延命新地ぞめき 続八日市飛行場物語

八日市延命新地ぞめき 続八日市飛行場物語_f0347663_14434218.jpg
三露俊男氏が郷土の民族 遊廓(一)に、『滋賀県八日市市八日市新地遊廓』にない情報がありました。

昭和21年9月に八日市飛行場を接収するため、連合軍が進駐して来た時、そして米・英・仏・伊・支の軍人が来た時も、一般婦女に対する性犯罪の発生はなく、この時も八日市新地の遊廓の存在が光ったと語られていた事。

売防法が施行された日から一週間に渡り、遊廓事務所で、各楼主が遊廓事務所に遊廓関係書類一切を持ち寄り、庭で償却したので、関係書類や文書が発見されないので調査不能になりつつあった事。

八日市の発展には八日市新地の存在が大きく一翼を担っていたと市民の間で語り継がれていたが、それが具体的にどういう部分か分からない、という事

昭和35~45年、近代企業の誘致合戦が行われていたとき、進出企業の関係者は、企業発展にかかせない商談には、芸者や売春婦がいなくなった八日市に対して企業側が難色を示した、との噂があった、事などが綴られており、こういった背景のもと、「昔、色街という所がありました」で始まる『滋賀県八日市市八日市新地遊廓』が書かれた訳で、大変な苦労があった事が分かります。

『続八日市飛行場物語』荻原憲一著の飛行部隊と新地(延命遊郭)には当時を生きた人の声で、生きた新地の様子が語られています。

日曜日は戦隊教育隊の数千人が滋賀県の各地(彦根は線内)に繰り出すので民間人は遊廓利用が出来なかったという事です。

置屋は大抵五、六人の女郎を置いていておやじの味見の済んだ女を姉さんと言わし、お父さんお母さんといわす・・・これは『滋賀県八日市市八日市新地遊廓』の「楼主は家の娼妓、芸者、舞子などに手をつけません。手をつけたら借金棒引きとなり見受けしたことになりますので、商売用の女には手をつけないことになっています。」と正反対の記述になっており、これは聞き取りの妓楼によって違っていたのかもしれません。

各置屋では、先輩のばばが楼主の養女になり、見張り役として、遊女の足抜き(逃亡)を監視しました。また置屋の周囲は塀の上に鉄筋の槍が並び、数段に渡って有刺鉄線が張られ、二階の両端には竹槍と有刺鉄線、道路の窓側には太い格子がはめて有りました。

玄関には行灯暖簾が出され、竹床几(六尺椅子)を置き、引子ばばが、客引きでここに男を座らせ、自分の胸を開けたり、腿を触らせたりして男の気を引きました。

戦争も終盤を迎える昭和19年も新地の営業は続いており、初年兵はまず新地遊びは無理で、気軽に行けるのは教育隊では、下士官や招集兵の兵長、戦隊や航空兵は教育の終わった一等兵以上、又二等兵では工員から兵隊転換した者くらいでした。

遊廓では二個(四十五分)以上で、一般十二円が兵隊割引で九円、兵隊の給料が二等兵で五円五十銭、一等兵で七円五十銭の時代でした。



by gionchoubu | 2021-06-04 14:49 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)