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by gionchoubu
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福井市の花街と遊郭
福井市は、姫路や明石や高松がそうだったように、芸妓町である花街と娼妓の町である遊廓が同居しておらず、別の場所にそれぞれ存在しておりました。
福井の花街は橋南芸妓と橋北芸妓と松本芸妓と三方面に分かれており、総計百三十七人、中でも橋本芸妓が数も芸も一段上であったと『福井・敦賀・小浜案内記』にありましたものの、詳しい情報はつかめませんでした。五嶽楼、月見亭、風月楼、山海楼、晴嵐亭、清風楼、開花亭などの料理屋に入ったものと思います。
『福井市史 通史3 近現代』には明治期14年と読み取れますが、芸姑組合が娼妓学校である桃花学園で、娼妓に社会人としての教養を身につけさす為の一環として舞踊、歌曲を教えた様です。
『福井・敦賀・小浜案内記』では、遊郭は江戸時代に足羽山の西麓の伊勢町に四軒の置屋が出来たのが始まりで、明治十三年貸座敷規則が発令されたが、同十八年九十九橋の南詰に移転、ところが明治三十三年の大火を切っ掛けに石場畑方に移転、山月屋、すしや、浅花楼、吾妻楼、翠江楼などの店以外に、廓内玉突場、囲碁倶楽部などの娯楽場も設けられました。
『福井風物「明治 大正」』三田村保正には遊廓が明治十八年に玉井町から北へ移転栄新地と称し、大正初めには二十数軒あったと繁盛記に載っていると書いてあり、明治三十三年の移転には触れられておらず、謎が残りました。
入口に新地の大門があり、潜ると右と左に十二、三軒店が並び、大火の後を受けたからでしょう、各戸に手桶水鉢が山積みされていたとの事でした。
弁柄格子造りで、美服に飾った女郎衆がひな壇のような前向きに前向きで正座をしており、遊客は覗き込んで女を選ぶ・・・張見世の状況を書いておりますので、移転前、移転後の情報が錯綜している様です。
『福井市史 通史3 近現代』には明治十四年に娼妓の外出が昼間10町以内とし、同時に娼妓張店も廃止と書いています。
『全国遊廓案内』昭和五年刊、には遊郭が石場方にあり、娼妓は約二百人、店は写真式、娼妓は居稼ぎと書かれていました。
昭和三十三年、三月十日と二十六日の福井新聞によると、福井史有楽町有楽園組合は三月二十日に解散、四十七軒が廃業届をだしました。最後まで残った従業婦は百十五名いたとの事です。
今回十年ぶりに訪れましたが、印象的だった弁柄に丸窓の建物が無くなっていました。
by gionchoubu
| 2021-05-11 16:51
| 亡くなったその他の遊所
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