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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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高松の遊郭と花街①



高松の遊郭と花街①_f0347663_18070051.jpg
北ノ新地の貸座敷、敷島のミル子、昭和十二年当時娼妓さんは和装が多いのに洋装は珍しいと思います。

高松の遊廓の歴史は、藩主頼重入部の後で、慶安三年(1649)旅籠町を茶屋町として女郎屋を設置、東西に大門を設け、昼夜役人を番所に詰めさせ、大いに賑わいました。

しかし乍、家中のもの銀子を浪費、出奔人まで出るに及び、僅か五年の承応三年に中止され、茶屋町の名を旅籠町に戻しました。

明治四年ごろ、七星勘四郎が願主になり、東浜の海面埋め立てを願い出て、明治五年頃完成、明治十年頃遊廓ができました。当時、黒岩楼、吾妻楼、菊壽楼、小柳、入船、布袋、旭楼、久栄楼などがありました。

当地では誰も遊廓とは言わず、単に八重垣と呼びました。八重垣の名前の由来は、藩政時代の歌人の歌からきたとも、八重の石垣を積み重ねて生れた新地だからとも言われています。

その後明治二十年頃、衰退したものの、日清・日露戦争の後息を吹き返し、明治四十年には遊廓内に高松花柳病院が設置、のちに八重垣病院になりました。

この遊廓は東浜港に停泊する船乗りが主な相手でした、
八重垣遊廓も、もとは遊女が着飾って並んで客を寄せていましたが、この「みせつき」が禁止されて、写真で選ぶようになり、これで妓楼建築も変わり、ローカルカラーは失われたとあります。『高松今昔記』

この店付きは張見世のことと思います。又、ここの娼妓も関西式におやまと呼ばれていました。

昭和六年内務省警保局『公娼と私娼』によると、高松市東浜町には貸座敷37、娼妓197人いました。『全国遊廓案内』に、娼妓は居稼ぎ、芸妓はおらず二枚鑑札の女がいる、との事、店は陰見世と、ここは『高松今昔記』の写真式と異なります。

『高松情緒』高松観光協会、昭和十二年刊に「北ノ新地貸座敷業一覧」に40軒の貸座敷が載ります。幸松、新幸、松竹、久富、松久、大和、三浦屋、旭楼、新月、第三幸松、末廣、松一、松乃家、橋本、新入船、晩翠、國米、初日、松ケ枝、花乃家、芳川、敷島、菊水、東楼、第二松一、竹の家、香月、第二新幸、一の谷、福富、三亀、岩喜、辰巳、玉の家、久幸、第二幸松、開勢、松月、一力、鳥羽家


参照:『高松市史』:『郷土風景、諸国花街号』郷土風景社
『高松情緒』高松観光協会、1937

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高松の遊郭と花街①_f0347663_18080096.jpg

by gionchoubu | 2021-04-30 18:09 | 亡くなったその他の遊所 | Comments(0)