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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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敦賀の遊郭と花街①

敦賀の遊郭と花街①_f0347663_14222916.jpg
良覚寺は移転したらしいです。地図の〇は初めからついていました。気比史学会:いま甦るみなとまち敦賀の町並み

古くは延元元年(1336)『太平記』に敦賀の島寺の袖という遊女の記述があるそうで、また近松門左衛門の浄瑠璃、傾城反魂香にも敦賀の遊女遠山太夫が主要人物として登場するところから見ると、敦賀の遊女町は古くから、広く認知されていたと考えられます。

この1336年が事実とすると、場所は移転しますものの、遊郭としての歴史は1958年まで続くので遊廓時代600年以上という、日本最長の歴史を持つ遊廓の一つと言えます。

『疋田記』によると慶長十年(1605)頃、川中の上嶋寺町の遊女たちが三ツ屋町と六軒町に移された、とあり、史実としてはこれが最初のようです。

六軒町辺りは川向(川東)と呼ばれ、島寺は今の本勝寺の北辺りなので、島寺が市街化されるにつれ、なにかと遊女町があると不都合があるので移転を余儀なくされたと想像します。

『敦賀誌』の六軒町の説明には、「此の町は花街にて、青楼六軒有りしよりの名也」、とあり、新町は「花街也。六軒町裏の塩入り田にて、寛文元年(1661)より埋み初めて町家を建て、同十年に至り、初めて一町となし、新町となずけたり」、つまり海を埋め立てて誕生した遊郭でした。

天和二年(1662)年発刊で、当時の敦賀の町の様子を記した『遠目鏡』には、揚屋は三ツ屋に八軒、新町に七軒、くつわや(置屋)が六軒町に七軒、三ツ屋に一軒で、併せ上女郎三十五人、下女郎四十三人、
と、隣接した四町が、運命共同体の遊廓の体を示していたのを覗わせ、それに対して、夜鷹(下等の私娼)が寺屋敷の枝町の梟町に七十余人、川中の浜出に百人余りと、年間二千艘を超える船の、物流拠点として、北前船が行きかうダイナミックな町の姿が浮びます。

『色道大鏡』藤本箕山の日本遊廓総目に、京の嶋原長崎の丸山町と並び揚げられているのが、越前国敦賀の六軒町で「敦賀の遊郭は、六軒町といふ。挙げ屋の居る所を、みつや(三ツ屋)といふ。傾け国の遊料十六匁、次は十匁也、端女は六匁宛。」と延宝六年(1678)以前の二十五ヵ所の一つとして、説明は随分短いものの、江戸の𠮷原以前に存在した遊郭周辺にはさぞ富も人も集まったことでしょう。

敦賀誌には、花街四町は新町、六軒町、三ツ屋、森屋敷で、青楼二百軒あり、宝暦の終わり頃には、青楼太夫というものがいたとあり、又、ここの娼婦は干瓢と言われたが、それは夕刻になって顔をさらすから、と説明もありました。

この四町は明治七年常磐町となり、同十年、三ツ屋町は分離して浪花町に編入されるが、昭和三十年、常磐町、浪花町ともに栄新町となり今を迎えます。
敦賀の遊郭と花街①_f0347663_14260064.jpg
                                  常盤町の形跡がありました。
敦賀の遊郭と花街①_f0347663_14271246.jpg
                              この右の筋が戦後もお商売されていたお店があったとのこと

敦賀の遊郭と花街①_f0347663_14295320.jpg
                           木勘楼 明治末

by gionchoubu | 2021-04-23 14:30 | 亡くなったその他の遊所 | Comments(0)