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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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鳥取の遊所 後半 花街とカフェー

鳥取の遊所 後半 花街とカフェー_f0347663_17362183.jpg
『全国花街めぐり』によると、鳥取の花街は本町三丁目を中心とした一画で、裏通りに十三軒の置屋(屋形という)に86名の芸妓がおり、貸席、待合等はなく、市中にある料理店か料理兼業の旅館に入りました。

昭和2年『鳥取商工人名録』の貸席欄では片原一丁目に秀の家、平和亭、いろは、千廣合資會社、片原二丁目に澤の家、おしどり、本町二丁目に吉村亭、平鶴亭、八尾、本町三丁目に千鳥、新玉家、丹梅、三笠、二階四丁目に中本、東町に吾妻家が記されています。これは貸席の名目の芸妓置屋と思います。

昭和5年、同時期に出版された『全国遊廓案内』によると、衆楽園にも芸妓が35名いました。

料亭は偕老亭(えびや)、花月楼(よきや)、八百竹楼が代表格、その他は瀧清、平為、丹廣、萬歳亭、浦五など、さらに鳥取温泉や高砂温泉の旅館が旅行客向きとの事でした。

遊興制度として、小芸妓(舞妓)は大芸妓の花代の八掛けであるので「はちぶ」と呼ばれ、これは因伯地方の習わしだった様です。
『全国女性ガイド』渡辺寛によると、赤線時代には、駅前右一帯の温泉地区に料理屋、旅館が45軒に温泉芸者が100人ほどいました。

鳥取市のカフェーについては『なるほど鳥取事始め』松尾茂、須崎博通著に詳しく、大正時代の弥生、カフェーミカドが始まりのようです。

大正十五年に十七、八あったカフェーが昭和二、三年には三、四十に増え、昭和六年には七十七と増え、昭和九年からは激減しました。

昭和二年の鳥取新報には「あか抜けしたウエイトレス振りを発揮する女は先づ暁天の星」「ダンスを踊る女給はまだ鳥取市には一人もいない」と書かれているそうです。

それもそのはず、この頃の女給は、煮売屋、飲み屋の酌婦からの転向者が多く、五十銭銀貨一枚で肉体を提供するものも多くいました。

昭和六年「鳥取行進曲」の五番の歌詞は「鳥取兵舎に月がでりゃ、ネオンサインも浮かびだし、街のカフェーぢゃ、ジャズが鳴る、ジャズが鳴る」と歌われたものの、作られた年にネオンサインはロゴス書店にあったのみ、鳥取でジャズが流行したとは思えないとの事でした。

昭和九年には、鳥取の芸妓置屋組合は芸妓がカフェーに入る事を禁止、同年、鳥取、倉吉、境、御来屋、淀江の置屋組合の代表が、芸妓の領分を女給が侵しているとして、厳重に取り締まるよう県に要請しました。

昭和八年、鳥取商工人名録の西洋料理(カフェー)欄には

上町    山田屋
片原一丁目 麗人
片原二丁目 菊水
本町二丁目 武蔵屋支店
      オリエンタル
寺町    精養軒
川端一丁目 八十八
川端二丁目 黒猫
      キング
川端三丁目 僕の家
      日乃出
薮片原町  マダム
東品治   紅蘭
      チェリー
      勝利庵
      鈴欄
      丸八
      敷島食堂
瓦町    文化食堂
吉方町   一本橋食堂
立川町二丁目 立川会館

カフェーは市内の人が集まる所にあったようです。
by gionchoubu | 2021-04-17 17:36 | 亡くなった山陰の游所 | Comments(0)