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by gionchoubu
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松江和田見遊郭 その四


昭和34年松江市住宅案内図
公娼と私娼』内務省警保局、昭和六年によると和田見遊郭は、正式には移転先の伊勢宮町に業者38、娼妓74人と有ります。
『全国遊廓案内』昭和五年には、松江遊廓は和田見にあって和田見遊郭、又は新地遊廓とも云っている、と有ります。明治に直ぐ隣の伊勢宮新地に移転したものの、県外の人等そのまま和田見の慣れた言葉を使い、画像の提灯にある様に、地元の人等は新地と言っていたと推察します。
店は陰見世、娼妓は送り込みで娼妓にも検番がありました。花代は一時間二円で全国平均より高くつきます。娼妓は県下の女が多数でした。
客が最初から五割増しの増花を付ければ、他の客から呼ばれる事はなく、これを「赤札」と言いました。
さらに、すでに他の客に出ている娼妓も、先客が同額を出す場合を除き、三十銭単位で競りの様に花代を上げ、自席に呼べる「たいこ」
というシステムもありました。
妓楼は百々家、平尾、舟木、米江など、全国遊廓案内にその名が全て出ています。
新地遊廓の花街面を『全国花街めぐり』昭和四年、松川二郎で見ますと、和田見遊郭は新地遊郭と呼ばれ、芸娼妓並置制で芸妓は新地券に45人、その他市内橋北の殿町の下村券、平江券、母衣町に松江券と赤松券があり、この四軒に八十四人いました。
新地遊郭の芸妓も町中の芸妓も市内の料亭、貸座敷に自由に入れるので、松川は制度として、事実上一つの花街と考えました。
主なる料亭は松崎水亭、望湖楼、望水亭、山田水亭、貸座敷は百々家(ももや)、葵楼、めずき楼、日の出楼、月の家、平尾楼、井筒屋等を挙げており、殆ど全国遊廓と被ります。
特有の歌踊りは全国的に流行した安来町花街の安来節と美保ノ関花街の関の五本松が盛んでした。
昭和三十年『全国女性街ガイド』渡辺寛では、芸者は和田美と殿町の松江検番を合わせて四十六軒あり、赤線は黒門と呼ばれたといいます。(全国花街めぐりも大門の存在を書いています)
渡辺は松江の項で珍しく情緒的、感傷的に松江の赤線面でなく花街面である、芸妓の歌、踊り、演奏に思いを述べ、芸妓は黒髪の多い、唇の熱い、面長で色白な松江美人ばかりと、とても良い印象を語っています。
一方松川も出雲美人の持論をかなりの行数を割き展開し、出雲訛の芸妓との会話を親しみを込めて茶化しているのを見ると、松江花街には全国を又にかけた遊び人をも捉えた去りがたい風土があったのでしょう。宍道湖の郷愁誘う風景はさらに二人の情緒を否応なく高めたことでしょう。
その後の松江花街の様子は分かりません。1970年の『松江商工名鑑』では芸妓斡旋の欄には北堀町の松江芸妓斡旋所一か所のみでした。








by gionchoubu
| 2021-04-07 13:37
| 亡くなった山陰の游所
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