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by gionchoubu
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松江和田見遊郭 その三 カフェー美濃庄

新編 松江八百八町 町内物語 』荒木英信著によると、明治の終わりになり、前回述べた団子屋、こやど、仮屋という怪しげな店が一掃されると、やがて松江もカフェーの時代を迎えました。
松江の代表的なカフェー美濃庄のカフェーらしからぬ名前は、もともと主人が大正二年、京都御所前でどじょう料理の美濃庄に丁稚奉公して、その暖簾分けを受け、松江で「どじょう鍋美濃庄」の看板をあげたが為で、大正十三年洋食屋を開業、昭和にはいってまもなくカフェーに転じました。場所は天神裏です。
カフェーに転じた理由は、東京を訪ね、カフェーと知らずに銀座の美人座に入り、大枚四十円を巻き上げられ、すぐさま交番にかけつけ訴えるも、巡査は「田舎者がカフェーなんぞに入るのが間違っとる」と笑って相手にしてくれない。別の知人に訴えても同じ答え、
招魂たくましい美濃庄の主人は松江でカフェーに転向しました。
尻のおちるボックスを並べ、大阪から二千円でネオンをつけ、あでやかな美人女給をそろえ、赤と青のネオンは、火事の通報も受けたほど派手だったようです。
そして特筆すべきは軍艦型の店で、その建築は湖を背に、オール金属、満艦飾りのネオンをつけ「美濃庄食堂、人気のサービスカン」と名付けられていた事です。
『島根県警察史 昭和』によれば、島根県においても、昭和に入り不況が年ごとに深刻化した中で、一流遊廓などでは灯の消えた状態となったが、それと対照的に急速に発展したのがカフェー・バーで昭和4年、73軒、女給151 人だったのが昭和10年、180軒、434人に増えています。そしてこの頃が最盛期となりました。
カフェー・バーは料理店、飲食店に該当しないため取締まりや規制を受けず増加一途の傾向と売春行為の温床となり、昭和9年と、遅きに期したきらいがありますものの、県令で特殊料理店営業取締規則が制定され、第一章を見ると
第一条に、本令に於いて特殊料理店と称するは、その名称の如何を問わず洋風の設備を有し、従業員をして客の接待を為さしむる料理店又は飲食店を言ふ~略。
第五条では、営業を許可しない者に、宿屋、料理店、待合茶屋、貸座敷、芸妓酌婦置屋、検番、芸妓酌婦置屋の寓所又は紹介営業者の営業所と同一構内に於いて営業を為さんとする者
さらに第九条で、営業所に舞台を設けてはいけない、客室に浴槽を設けない、十五条に芸妓、酌婦、幇間、俳優、遊芸稼人等を入れない、従業婦が店に立ったり、客と同伴外出させない、客を宿泊させない、卑猥なる行為をさせない、など多岐に渡るものでした。
by gionchoubu
| 2021-03-31 12:18
| 亡くなった山陰の游所
|
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