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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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松江和田見遊郭 その二 天神裏

松江和田見遊郭 その二 天神裏_f0347663_14533314.jpg
和田見遊郭とは別に、天神川に面した辺りに天神裏と呼ばれた歓楽地がありました。これは藩政時代に芝居小屋も遊郭もあった楽山から移ったとの事です。

維新で士族が得た思わぬ奉還金という大金、地方から官員になってやってきたブルジョアのお上りさん、文明開化の波に載った商人らの手軽な遊び場として天神裏は近隣随一の歓楽地になりました。

さらに六十三連隊の松江誘致により、新兵や上等兵が気安く遊べる場所として益々発展しました。

芝居小屋、寄席、仮屋、吹屋遊戯、料亭が並ぶ中、天神裏繁栄の中心の名物に「こやど」と「団子屋」がありました。

こやどは天神裏から灘町新丁、こじ屋裏にかなりあったようで、いわゆる連れ込み宿です。

これに対し、団子屋は女郎屋であり、天神裏から灘町新丁にかけた狭い道に、すべて黒々とした格子造りの団子屋が並び、軒に吊るされてている門名の入った行灯がほの暗く道を照らし、女郎たちは道行く客に嬌声を投げかけました。「私も十六の年に千登勢の女郎に童貞をささげましたよ。格子の間から長煙管のがん首を衿に引っ掛けて引っ張りこまれてね」ある古老の話でなんとなく当時の風景が目に浮かびます。

すでに奉還金を使いは果たした士族があきらめきれず天神裏をさまよう様子「天神境内ホガホガと、芸妓団子が出て招く、まねきゃ寄たし上がりたし 懐中さがせば金もなし、男涙がホロホロと・・・」
当時大流行した唄があります。

団子屋の言われは、団子がころころ転がるように商売女もころころ転ぶから団子といたのが由来で、これが隠語となって「団子を食いに行く」といえば意味が通じたのです。

「女郎団子あります」と看板の店先には一銭五厘の串団子を並べている。しかし、それは表向きで、裏には脂粉をこらし、一夜の遊びに僅か十銭で買える女が待っていました。

ひとかどの遊女屋になった千登勢楼の他、四海楼、湖山楼、和田見大火の火元、神門屋など、明治二十年頃に団子屋だけで十数軒あったと言います。
この団子屋とこやど、仮屋も世間の非難を浴び、明治の終わりの頃、一掃されました。
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参照:新編 松江八百八町町内物語 荒木英信著



by gionchoubu | 2021-03-27 14:54 | 亡くなった山陰の游所 | Comments(0)