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by gionchoubu
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松江和田見遊郭 その一
松江の和田見遊郭は売布神社の所在地で、遊郭の起源ははっきりしませんが、すぐ隣の八軒屋町の開祖山本某が貸席業を移したとされ、文化から嘉永(1804~1854)にかけてますます栄えたといいます。
出雲の三大游所はこの和田見と杵築そして美保関にありました。
『大久保恵日記』によれば、文政九年(1826)年の日記に十軒の置屋と三十九年人の遊女の名が記され、日記には遊女達を遊女、売女、酌取女、下女、芸子、小女、抱え女、女郎など様々な名称で呼んでおり、一方遊芸を身に付けたものを、芸者、芸子、三味線女と線引きをしていました。
当初遊女は武士階級のもので、文政時代、上級藩士が年忘れ浄瑠璃の座敷に加賀太夫、八重太夫の遊女を呼んでいる事も記されています。
その後、遊女を買う女は町人の間にも広がっていきました。遊女の逃亡、心中事件も起き、客であった町人が遊女の逃亡を助け、馴染みとなり、心中を図ることもありました。
遊女たちは大坂や米子など出雲国以外が多かったようで、下女の名目で売られ、実質は五年から六年の年期で性を買われる身売り奉公でした。
逃亡の代償は高く、捕まると見せしめで、他の遊女を集め、捕まった遊女は、竹べらにて絶えるまで打ち叩かれ、丸裸ににて、口に手拭を食ませ、梁に吊らされ打たれました。
維新後の和田見は徐々に完備した遊郭となっていき、固定したブルジョアの遊び場になっていったのに対し、後述する天神裏はずっと庶民的な歓楽地となりました。
明治17年松江病院に島根県駆梅院が仮設され、和田見の娼妓は毎月3回検査を受けました。続いて明治21年、和田見新地に駆梅院は移されました。
同17年の和田見大火や和田見での貸席業禁止などにより、和田見のお茶屋と貸席の一部は天神裏に、殆どが道路を挟んだすぐ隣の伊勢宮新地に移りましたが、名前は和田見遊郭を引き継いだ形です。
明治30年末、島根県統計書に、松江の貸席、廃業2、現在26、娼妓開業27、廃業20、現在61、の貸席・娼妓調があります。
明治44年、松江署管内の芸妓数は109となっていました。
参照:松江市史 通紙片3,4
by gionchoubu
| 2021-03-25 16:53
| 亡くなった山陰の游所
|
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