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by gionchoubu

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美保関の遊郭と花街

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美保関にいつから遊女町があったか分かりません。『美穂関町誌』によると境港沿革史に、宝暦十三年(1763)に九名のものが飯盛置屋建設免許を受けた、という事から、港として境より古く、美保神社の門前町でもある事から、美保関の遊所の方が古いだろうと推察しています。

出雲国内の游所は、松江和田見、杵築、美保関が三大游所でした。

天保前の諸国遊所競では上位から二段目、長州三保ケ関として載ります。(2021年8202184月22日付記)

天保十三年(1842)に、美穂関の娘が茶立奉公の契約を親と和泉屋惣次郎と交した「飯盛奉公人請書」が残ります

嘉永三年(1850)に川渡甚太夫という船頭が、三穂明神宮に参り女郎の賑わいをみて、でる船や入来る船を美穂の関
     引手にあまる女郎のかずかず・・・多くの遊女で賑わう風景が浮かびます。

同年、美保関で、松江藩より「売女同然」の行為をする「御国内之者」「他国者」「自分嫁」の女達、即ち私娼を取り締まるよう触が出されています。

明治十年島根県の記録によれば、官許の游所として六か所が載り、この中に美保関も含まれています。明治十五年の「島根県統計表」に美保関の娼妓の梅毒受検調の調査結果が残ります。内務省警保局の『公娼と私娼』に印刷が読みづらいものの、大正十?に遊郭は消滅したとの事です。

遊郭は消滅したものの花街として生き続けたのは松川二郎著『全国花街めぐり』昭和四年刊に取り上げられているのでわかります。

旅館として、美保館、福間館、山根館、五松館、恵美須館を挙げており、芸妓は小料理屋や旅館に入りました。

松川によれば、少し古い案内記に、此の地家々の娘は皆芸妓と娼妓を兼ね、客がこれを招けば実母自ら送りに来た、という風習があったそうです。

芸妓は二十六名、娼妓も同じくらいたと居りまして、公娼と私娼の記述と矛盾しますが、登録は全員芸妓だったのかもしれません。実際、娼妓も酒の酌をして関の五本松ぐらいは歌ってきかせる、との事ですし、娼妓の外泊自由というのも他所ではあり得ぬことです。

松川も、娼妓が旅館に客と泊るのは、旅館に貸座敷兼業を認めているのか、若しくは公然の秘密としてやっているのか分からないと
訝っています。

とにかく旅館も芸妓も娼妓も驚くほど揚げるのが安価で、一夜泊まりがつい二晩に、美保は四い所、五(いつ)までも、「美保情調」の歌詞そのままのような世界でした。さらに民謡「関の五本松」は旅の人にも、お国の人にも、懐かしそうに歌われ、芸妓が踊る定番中の定番でした。

『とっとりの女性史』によると、昭和二十五年に朝鮮戦争中、美保基地周辺が在韓陸上部隊の一時休養指定地になると、戦時手当で潤う米兵相手の街娼の為、農家が使い道の無くなった養蚕場を提供し、六畳一間を月三千円~五千円で貸出したので、彼女達は「おかいこさん」と呼ばれたと言います。これは以前、奈良や滋賀で見てきたのと同じ事例となります。(2021年4月22日付記)

昭和三十年『全国女性街ガイド』で渡辺寛は「田山花袋も“美保の関は町すべて狭斜のようなところである”と書いているように、ここは街全体が艶っぽい色里である。唄2でも知られている関の四本松(昔は五本)もある所で、宿の女中に“お神酒をあげたい”というと、たちどころに美技参上。芸者、赤線とりまぜて六十九名。芸者より赤線酌婦の方が素直な色艶がある。」と書きました。


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関の五本松


by gionchoubu | 2021-03-18 14:19 | 亡くなった山陰の游所 | Comments(0)