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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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貝塚の遊郭 その三

貝塚の遊郭 その三_f0347663_13492742.jpg
貝塚の遊郭 その三_f0347663_13495323.jpg
2009年撮影

『ふるさと岸和田』内田幸彦著に貝塚新地の往年時の生々しい様子が描かれています。夜になると、表通りの青・赤・黄色の色ガラスの部屋(陰見世と思われます)に女が華やかに屯しており、ほろ酔いの男が各店を覗き女を選ぶ様子を「照らし」と呼んでいました。

客が気に入った相手に目配せすると、四畳半位の部屋に案内されます。部屋には鏡台、小さな卓袱台(ちゃぶだい)、お茶のセット、布団だけでした。

最初に登楼するのを初回、二度目を裏を返す、三度目でお馴染みとなり、サービスもよくなりました。

お客に二種類あって、毎回相手を変える客は箒(ほうき)と呼ばれ、女はこれを嫌い、続けて通ってくれる客を常連さんとして歓迎しました。

昭和六年の記録では、朝から昼までが二円五十銭、昼から夜までが三円十銭、午後十時から午前六時までが泊りで三円五十銭だったとの事で、泊まりの時間に入るときリンが鳴りました。これは係りの人がりんを鳴らしながら、廓内に知らせ周ったのだと思います。

渡辺寛『全国女性ガイド』には赤線時代には未亡人クラブが多く、大阪に住む女性が出稼ぎに来ており、その数は百名を下るまい、と書いています。

昭和34年の『貝塚商工名鑑』(貝塚市立図書館所蔵で一番古い名鑑)で待合業として、みやけ一軒、玉突業も必勝撞球場一軒でした。

近木の料理屋は古の木、(株)深川(スタンドを兼ねる)で、この木も深川も現在もお料理屋です。昭和20(1945)年の地図には寿司割烹深川本店は現在の道路はさんだ向かいに有ります。戦災にあった現場所での美しいベンガラの建物は戦後建ったことになります。2009年訪問時には割烹深川の看板がありました。

昭和20年の地図にあり、昭和34年の名鑑に載る料理関係は

一力(料理店)→(スタンド、料理)
一心亭(小料理屋)→(小料理、酒類)
二鶴(食堂)→(和洋食、寿司)
泉谷食堂→グリル泉谷
飲食店まるか→まるか本店(麺類、丼物、寿司)

昭和34年の名鑑で近木に多かったのがスタンドで、平八、おかる、一平、カナリア、ナイス、多津美、河太郎、正家、くり駒、小政、はる、清水屋、平八、松家、アザミ、さざえや、美松、ひかり、鈴、さかえ、喜八、菊、玉や、美福、第二春日、菊屋、きさらぎ、よあけ・・・昭和33年の解散時に、50人ほどの従業婦は故郷に帰らなかったので、こういった女性達がスタンドを支えていたと想像されるのです。

以上三回の文面で触れなかった参照は『貝塚市史第一巻通史』



by gionchoubu | 2021-03-14 13:50 | 亡くなった大阪の游所 | Comments(0)