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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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貝塚の遊郭 その一

貝塚の遊郭 その一_f0347663_15174973.jpg
紀州街道宿場で船着場のある貝塚の茶屋は江戸期に貝塚寺内の内外共に散財的に存在しており、文化頃(1806~1818)脇浜新町に熊取屋、畠中新町に住吉屋、桶屋などが料理茶屋の様な形態でありました。

所謂天保の改革(1842)で料理茶屋は廃業を通達されましたが、泊茶屋の名で復活し、株仲間として紀伊国屋、千野屋、高滝屋、松葉屋などがありました。

市史には遊女について書かれていませんが、茶屋女、飯盛女の名目の女達が遊女化していたのは間違いないと思います。何故なら、旅籠屋の集中していた旅籠町に限り、飯盛女二人まで黙認し、軒数の限定を行わないこととする了解を得ようと、南之町、北之町の年寄連盟で堺奉行所に提出しているからです。

そして明治六年堺県は貝塚に遊郭免許を与えました。明治十二年に貝塚遊郭に二十軒の業者と二十四人の娼妓がいました。業者のわりに娼妓が少ないので、この業者には芸妓関係も含まれていたと私は思います。

明治四十四年、学校が近くにあり教育上好ましくないという理由で、紀州街道から、本田駒吉らが交渉に半年かけ、一面ミカン畑だった南海沿線の現在地に移しました。大正七年、貸座敷四十に芸妓九十六人、娼妓百二十五人おり、最初は二枚鑑札が許されていました。

二枚鑑札というと、ある時は芸妓、別の時は娼妓、というより、同じ妓と飲んで、歌って、踊って寝る、というフルコースの側面が強かったようです。

大正十二年に遊郭事務所を新築、性病検査が週一行われ、性病がでれば営業停止、難波病院に送られるので、娼妓たちはこの日を一番嫌がりました。

昭和六年、教師から転進した山村儀三郎が取締りになり、娼妓の定期検査をひきあいに「うちの商品は清潔です」と言っていました。後に新地の南に「山村座」をつくり貝塚でのレジャーコースを設立しました。

この頃、貝塚町近木に業者四十三軒に娼妓は二百六十九人いました。

貝塚は大阪湾に面した海岸町で、岸和田、泉佐野には花街はあれど遊郭はないので、巨大な工業地帯であるが故,貝塚遊廓の需要は大きいものでした。

加えて大阪市や堺市の好事家達がたびたび遠征にくるので、相当以上にここの新地は発展していました。

参照文献は最後に載せます。
貝塚の遊郭 その一_f0347663_15181581.jpg
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貝塚の遊郭 その一_f0347663_15202962.jpg

by gionchoubu | 2021-03-12 15:20 | 亡くなった大阪の游所 | Comments(0)