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by gionchoubu
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泉佐野の花街
江戸時代、多くの豪商が佐野を足場に廻船業を展開し、道沿いにはさまざまな商家などが立ち、1700年頃には人口8,500を擁する町場として繁栄しました。
その中でも廻船業などで大きな富を築いたのが食野(めしの)家で、江戸時代の長者番付では鴻池や三井と並ぶほどの豪商で、井原西鶴も『日本永大蔵』で触れています。
『百人の佐野物語 第三集』ではこの佐野の花街について触れた「料亭 置屋」の項があり、それによると戦前、佐野の町には料亭・置屋が軒をつらね、その中を舞妓・芸者が人力車に乗って行きかって、華やかな雰囲気が漂っていたとの事です。
花街の起源などには触れられていないものの、芸妓の数は大正十年に四十五人とあり、最盛期には百三十人ほどいらっしゃった様です。
南海駅前から出るとすぐ左に入った所の若宮町に検番があり、芸妓用の人力車が二台あり、芸妓が料亭に入るときなど、男衆が三味線を入れた箱を下げてついていきました。
芸妓さんは一時頃になると、皆で揃って高松町の寿湯へ入浴にいくので、とても華やかだったはずです。
戦争中、検番は軍需産業の寮になり、料亭も閉まり、若宮町に国道二十六号線が貫通して、多くの置屋さんや小料理屋さんが立ち退き、花街として復活することは有りませんでした。
戦後、自宅で結婚する家が多くなると、披露宴には芸者さんに来てもらい、三味線太鼓で囃し立て、舞を踊って宴を盛り上げました。また、芸妓さんは料亭からも声はかかりましたが、後継者もなく、完全に姿を消しました。
料亭は若宮町・栄町に集中しており、佐野で大きな会議や総会は二階に百畳の広間がある木島楼があり、戦前佐野には日本一の製造工場が、東洋製鋼、星スパーク、合同シャットル、大阪陶業と四工場あり、これらの忘年会も木島楼でした。
さらに泉州タオルで知られるように、繊維産業も盛んで、花街も旦那衆には困らなかったと想像できます。
その他にも、栄町に魚喜があり、正式にはこの二軒が料亭で、その他は、峯楽から仕出しを取っていました。ですから、力石(ちからいし)、はるの家、くらの家(元は久の家)、そして新地通りにときわとみやこがありました。これらの店はお茶屋という訳でもなく、席貸、待合のような業種だったと思います。
戦前、料亭で芸者を呼んで遊ぶなど、普通の給料ではとても無理です。でも昭和十六年頃には出征する兵士に皆で芸者を呼び送別会が出来たりしたものの、昭和十八年には料亭も休業している所が多くそれも無理になりました。
置屋さんは芸妓さんを二、三人置いている所が多く、二、三十軒ほどで若宮町に集中しており、振袖、だらりの帯で、こっぽりを履いた舞妓さんもおり、昭和の初めには宝恵駕籠もでました。
大正から昭和にかけて、若宮町の瀬川という方が踊りの師匠で、昭和十年頃には大西町に住んでいた若柳のお師匠さんになりました。
瀬川さんも、若柳さんも春日座で、弟子の芸妓とさらい会をしました。
現在、町の古老達にに佐野の花街の事をきいても、有った、ぐらいの反応しか得られませんでした。
同書によれば、大鳴山参道の玉垣に、佐野検番組合、佐野町旭検番合の玉垣があるそうです。
by gionchoubu
| 2021-03-01 14:10
| 亡くなった大阪の游所
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