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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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犬山の花街

犬山の花街_f0347663_13060038.jpg


以前このブログで花街・遊廓の類型を求めました。それで行くと、犬山にあった花街は観光地型に分類できると思います。京都でいうと宇治が観光地型のはずで、旦那衆など、当初京都から芸妓をつれ遠出で遊びましたが、これは可なりの出費になるので、便宜上宇治に検番を立ち上げた人がいました。


観光地型は花街にのみごく僅か存在し、遊郭にはないと考えています。

『犬山市史 通史編下』によると、犬山花街は、何時から有ったかは書かれていませんものの、明治末期から盛んになってきた、とあり大正元年『犬山の栞』犬山壮年会犬山支部発行に、小遊楼、稲葉家、西岡、金席楼など十数軒に七十人の芸妓がおり、主な料理屋は井筒文、新大丸、常春亭、山田屋、鳥金などで全てが大本町、図師町にあり、大本町へ行くと言えばすぐ耽溺の意味とかいてありました。

犬山町は日本ラインの中心地として、桜の名所地として観光・行楽客が多く、昭和の初めに、昭和初期には料亭だけで、彩雲閣、岩の茶屋、迎帆楼など四十軒以上、開進亭、美人座、ライン食堂などカフェー・食堂の主なもので十三軒ありました

ライン下りの観光客などで旅館も繁盛、犬山ホテル、彩雲閣(料亭を兼ねる)八勝閣、不老閣など主なもので九軒ありました。

昭和の初め、上大本町、下大本町、図師町に芸妓置屋二十数軒を数えました。この頃が最盛期でしょう。

犬山花街の終焉は昭和六十三年で、春駒、玉の家、勝の家、松むら、玉生など十三軒が花券番(花検番)を解散しました。

犬山の花街に私が興味を持ったのは昭和四年『全国花街めぐり』に取り上げられていたからです。著者で希代の遊び人であった松川二郎が愛知県で項目を設けたのは名古屋市と犬山だけでした。

犬山の花街の特異性を松川は、人口僅か一万三千の小都市に、芸妓置屋二十数軒、芸妓百二三十名も数えた事としています。

待合や貸席(つまりお茶屋)はなく、芸妓は料理屋や旅館に入り、花街は大本町、後に櫻楽園と呼ばれた地域にあり、その両側には桜、楓が植えられていました。今はそういった木々もありません。

芸妓の入る料理店、旅館数も四五十軒に及び、芸妓は川下りの案内や、鵜飼見物のお供、川行(かわゆき)に、夏は一夜泊まりの旅客と一夜の恋に陥ることも少なくなかったようです。

花街の制度としては、芸妓は名古屋から仕入れており、髪の結いかた、着物の着方、踊りの手ぶりまで全て名古屋式、西川流という事でしょう。半玉も二人で座敷を務める「二ツ一」でした。

代表的な料理屋でもあり旅館でもあったのが上記の彩雲閣で、名鉄の委託経営、建築も立派で室の構造もよく多人数の宴席に適していました。ただし芸妓は十二時まで、泊まりはさせなかったという事でしょう。花街の制度でも明し花(泊まり)は有りませんでした。

不老閣や錦水楼は眺望がよく、井筒文は元成瀬家の御用料理を勤めた犬山一の古い料理屋、不二三亭には一面の藤棚があり、犬山名所の一つでした。

昭和四十六年の住宅地図を見ると、幸楽さんと接する南、通りからみると、開進亭の二軒先に犬山芸妓寮検番がありました。

明治三十八年、犬山壮年会発行の『犬山』に、犬山は風光明媚の地で自然の感化の為か人情都雅で、和歌、俳諧、囲碁、将棋が盛ん、犬山の人で、生け花、茶の湯の心得無い人は稀、女児は朝芸として、琴、月琴、踊、中でも三味線を教えられたとあります。聊か手前味噌の感じは拭えませんが、花街文化を育む土壌があった、と考えることも出来るかもしれません。




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                    花街跡で時折みる屋根に水の鬼瓦
                    火災防止の鬼瓦


by gionchoubu | 2021-02-16 13:11 | 亡くなった東海の花街 | Comments(0)