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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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幕末の勤皇の志士と京都の花街 後編


幕末の勤皇の志士と京都の花街 後編_f0347663_14394650.jpg

それでは、当時の京都の遊廓の仕組みを書くと、まず頂点に嶋原があります。江戸の𠮷原、大阪の新町と並びその中で頂点に立つもので、幕府直轄で根本とされ、京都の他の遊廓は、例えば二条新地は島原の出稼ぎ(支店)いうステータスです。さらに二条新地の出稼ぎが先斗町です。同じように上七軒、祇園、七条新地などが嶋原の出稼ぎで、後の五番町は内野と呼ばれ、上七軒の出稼ぎ、宮川町は七条新地の出稼ぎというわけです。


嶋原遊女の最上級が嶋原太夫で、大名、豪商などが相手で、単に美しいだけでなく、踊り、演奏は勿論の事、茶、花、詩歌、俳諧、書道、文学、中には絵画まで達する者もいました。太夫を揚げるのに当時の庶民の給料一年分かかり、なにより揚げる方にも、教養、素養がいるので、一般人の手の届くとこには居りませんでした。

この太夫が、嶋原に移る前の六条三筋時代、出雲阿国の歌舞伎を受け継いだのがここの遊女で、これがあまりにセンセーショナルで、人身を大いに狂わせたので、幕府は体制維持の為、女性の演劇を一切禁止以後歌舞伎も男だけの世界になりました。

太夫を頂点として、嶋原には天神、鹿恋(かこい)、半夜、端女郎(はしじょろう)などの序列があり、鹿恋以下はいわゆる女郎さんでした。

この太夫は当初、高尾太夫の様に、江戸の吉原にもおりましたが、悠長な公家文化が馴染まなかったので、後に芸は見せない妓女、見せかけは同じだが、体だけを売る花魁になったのです。装束などが似ていて、太夫と花魁がそっくりなのはその為です。

さて幕末に時を進めると、長州の久坂玄瑞と嶋原の芸妓辰路の恋が有名で、角屋の敷地には、「長州藩志士久坂玄瑞の密議の角屋」の碑がたちます。

幕末の勤皇の志士と京都の花街 後編_f0347663_14400986.jpg

西郷隆盛などの勤皇の志士たちも、軍用資金調達の為、鴻池、加島屋などの豪商を角屋に招き、しばしば饗宴を催しました。

 輪違屋に桂小五郎の書がありますが、当時輪違屋は角屋の様な揚屋でなく置屋、現十代目御当主に伺ったところ、輪違屋の太夫が、揚屋で桂小五郎に書いてもらったとの事です。

幕末の勤皇の志士と京都の花街 後編_f0347663_14405456.jpg

その他にも角屋を密議の場などで利用した勤皇方には坂本龍馬、山縣有朋、伊藤博文、品川弥次郎、井上聞多、大隈重信、僧 月照などの名を上げられます。

一方、壬生の屯所近くの壬生寺の所に下等な壬生遊廓が明治初めまでありました。新選組が通ったという話は聞きませんものの、行ってないと考えるのも不自然です。上層部は行かなかったとしても、一部は通ったんじゃ無いでしょうか。

近藤勇や芹沢鴨は島原一等の揚屋である角屋に出入りしており、芹沢鴨は酒乱で、水口藩との宴会で、角屋の自分に対する扱いが悪いと暴れだし、鉄扇で手当たり次第什器などをたたき壊し、二階の手摺を酒樽に浸けるなど悪鬼のような所業で暴れまわった挙句、角屋の主人に一週間の営業停止を命じました。

この日、芹沢鴨は帰った後、女郎と同衾している所を近藤勇一派に粛清されました。

このまえ大阪の新町遊廓の、歌舞伎でも有名な名家吉田屋でも、自分の思い通りに成らなかった芸妓を、さすがに殺すことは出来ず、髪を切り落とす暴挙があり、角屋は吉田屋と親戚なので、急遽は早駕籠で芹沢惨殺を知らせました。

さて、幕府は、盤石の体制を揺るがすものあれば、西国大名と想定し監視を怠りませんでした。又内から体制を蝕むものとして、我々のイメージとは違い遊廓には大変厳しい態度で臨んできました。

これは実に的を得た慧眼と思います。しかし流石の幕府も西国大名の勤皇の志士たちが、まさか遊廓から昇華した都の芸妓と手をむすび、最後には江戸幕府に終止符をもたらすとは夢にも思わなかったのでは無いでしょうか。


by gionchoubu | 2021-02-06 14:43 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)