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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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豊田と足助の花街 前編

豊田と足助の花街 前編_f0347663_13391415.jpg

新修豊田市史17に豊田の花街中心に足助の花街も書かれた箇所21ページにも及び、他の殆どの市、町、村、史・誌に花街の記述があっても、無機的な羅列がごく僅かなページのみで見られる中、これだけの、しかも血のかよった聞き取りで占められているのは稀有の事です。

同市史は豊田花街を二流としています。ただ戦後の全国に、700以上あったであろう花街の殆どは、一流ならざる花街で占められていた訳で、さらに祇園などは多くの本が、まあ書けない事は別として、いろんな角度で内情、外情をみせてくれるなか、日本の一般的な花街の実情を見せてくれるのは実にありがたいと私は思います。

足助で芸子をしていた人の聞き取りで、昭和二十八年、十八歳の時、同じ愛知県の半田で、自分の希望で「浪花」という置屋に入ったとの事、これは今も、京都は例外として、十八歳でないと花柳界に入れないためであります。

これは実に合理的な考えで、芸妓となる以上、三味線などの楽器、踊り、お茶やお花を習わなくてはならず、半田はこれらの環境が整っていたからに他なりません。

これから、10ヶ月、芸事を習う代わり、女中のように働きました。ただ「芸子さんは手を汚してはいけない」との事で、食事は専門のおばさんが受け持っていました。

置屋での雑用はたくさんあり、基本先輩芸妓の世話をするのが中心で、それを通して芸子としての行儀作法を習いました。

また、麻雀や花札など、お客と遊ぶ手立ても習い、夜になると、置屋なので、お座敷でいれることは無いでしょうが、置屋に麻雀をやりに来る人もいたといいます。

豊田の方は昭和四十年頃で、三十三、四軒の置屋があり、芸子も自前となって独立するまでは置屋に寝起きしました。芸子が独立する場合、置屋の株を買わねばならず、芸子自らが置屋を経営する形です。

置屋の株は数が決まっているので、どうしても必要な場合は、置屋の主人が集まって新株を発行しますが、当時その値段は70万円だったとの事です。

置屋は喜多町や神明町に多く、拳母劇場の近くが置屋街で、「松月」「瀬戸川」「菊春」などの置屋が何人も芸子をおいた置屋で、独立した自前の芸子の場合「美千代」「幾松」「絹香」など芸名がそのまま置屋名でした。

豊田と足助の花街 前編_f0347663_13023772.jpg


by gionchoubu | 2021-02-03 13:02 | 亡くなった東海の花街 | Comments(0)