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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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足助の花街

足助の花街_f0347663_15081771.jpg

足助花街の起源は分かりませんものの、大正十一年ごろには、宿屋・飲料店・置屋を含めての揚屋数は21軒、芸妓数31人とのことです。足助が料飲歓楽型へ移行したのが日露戦争以後なので、明治末ぐらいに出来たものと思います。


上記揚屋に芸妓置屋を含めていたので、置屋がお茶屋を兼ねていたようです。大きな料理屋として三島屋、錦荘、鈴々屋を上げており、現在も三島屋、寿々屋は建物として残ります。


足助というと東海一の香嵐渓が観光の中心で、昭和七年から十四年までが戦前のピークで、芸妓は長唄「足助の里」「足助節」などを中心に披露しました。又、芸妓が名古屋市にも出かけ、観光誘致キャンペーンを受け持ちました。


それ以後は戦争の影響により、同十九年に揚屋組合は休業という事ですが、揚屋は芸妓が入るという意味の筈なので、観光事業と芸妓が手を携えていたと言う事でしょう。


足助の町は、繭、生糸、木材、竹材、薪炭等の流通機関の集積地であり、特に材木関係の人が地元側として花街を支え、旦那の役割を果たしたと思います。


料理屋に女中がいなかったので、芸妓が料理を運ぶため、着物が汚れるのが苦であったとの事。昭和四十七年頃の足助の花代は、当時パートの時給が250円の時代、1100円に上がったという事なので、その頃に花街が存続したという事になります。


さて、足助の地理的な事情や町としての規模を考えると、芸妓の指導にちゃんとした師匠はいなかったと思います。足助で芸妓をしていた人の話によれば、昭和二十八年、十八の時、半田の浪花という置屋で世話になり、十か月ほどの間、三味線、踊り、お茶、お花などを習い、教えてもらう代わり女中の様に働いたという事です。


そしてその後、こういった芸妓さんが、足助内で若い芸妓を教えるといったスタイルと思います。

全国に数えきれないほどあった花街の内、一流、二流の所以外はこういった形で芸を身に着けることはごく普通だったと思います。


参照:『足助町誌』『新修豊田市誌17』『足助1世紀』

足助の花街_f0347663_15084327.jpg
足助の花街_f0347663_15095707.jpg
足助の花街_f0347663_15103938.jpg
                           ここに検番がありました。(この建物ではありません)
足助の花街_f0347663_15130554.jpg
                               置屋、浅屋
足助の花街_f0347663_15123548.jpg
                         浅屋のウインドウに昭和30年頃の芸妓の写真がありました。

                         ここは芸妓個人宅、学校の前なので色々問題あったそう。
                                  
足助の花街_f0347663_15491422.jpg
カフェーであったと地元の方の証言を得ました。
足助の花街_f0347663_15492782.jpg
足助の花街_f0347663_15494186.jpg

by gionchoubu | 2021-01-26 15:20 | 亡くなった東海の花街 | Comments(0)