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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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守口宿の飯盛女


守口宿の飯盛女_f0347663_17540700.jpg



江戸の日本橋から京都の三条大橋まで五十三次の宿場には全て宿場女郎と言われた飯盛女(公儀では食売女)がおりましたが、今回はそれに続く京都~大阪の四宿、淀、伏見、枚方、守口を加えた東海道五十七次の内、守口宿を見てみます。

『守口市史』の文久二(1862)年「旅籠屋取締請証印形帳」によると、

食売女は旅籠屋一軒につき二人、他に下女一人、計三人以外召し抱えぬこと


着服は布、木綿以外身に着けこと、但し前垂れは付けていい


三味線、太鼓は慎む様


若い衆による旅人の強引な客引きはしないこと


などと書かれ、食売女は目障りだとまで書かれています。

旅人を泊めるだけの旅籠屋なら何人給仕女を置いても構わない訳で、これは裏返せば売女三人までおいてよいがあまり派手にやるなよ、という事にほかなりません。

旅籠屋が遊里化して客引きがあの手、この手でお客を惑わすなら、これを大迷惑と考える旅行者もいるわけで、大阪の商人、松屋甚四郎、同源助の二人が発起人となり浪花講という結社ができ、加盟店旅籠は食売女を置かず、一定の看板でこれを示し、守口宿では新屋がこれに加盟していました。

さて、お隣の枚方宿は游所番付にも載り、明治以後遊廓になり赤線時代も持ちました。守口宿は明治四年に雇主数八軒、食売女四十二人の記録がありますがその後の消息は不明です。

同じ京阪沿線に滝井新地がありますが、守口宿との関係はないと思います。

守口宿の飯盛女_f0347663_17554320.jpg


守口宿の飯盛女_f0347663_17550298.jpg

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by gionchoubu | 2020-10-04 18:02 | 亡くなった大阪の游所 | Comments(0)