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新福原遊廓誕生

新福原遊廓誕生_f0347663_18575106.jpg


                         福原遊廓 張店    
明治三年、神戸大阪間に鉄道が敷かれることになり、その最適の場所が福原遊廓地となり、福原遊郭は移転を余儀なくされました。これが現在のJR神戸駅です。

新福原(即ち現在の場所)は人跡稀な荒涼の地で、わずか開廓以来僅か二年で移転命令が出たことにもより各楼主はむずがり、夜逃げ同様姿を消すものもありました。


ところが明治四年大津波で福原遊廓も壊滅状態になり、これが期に五月から業者は続々と新福原に移転をはじめました。


移転当時の遊女は約三百五十名、吉原に倣い大門を建て、町名も仲の町、裏通り、京町と呼び、その後京町は三十軒筋と名を替えました。見返り柳も植えたとあるので、これが柳筋となったのでしょう。


『続編 明治・大正 神戸のおもかげ集(第二集)』によると、大店として、勢徳楼、大砲楼、勢陽楼、萬国楼、宝新楼等十七軒、中店三十九軒、小店十八軒でした。


新遊廓は移転以後繁盛が続き、各楼主も移転新築に投資した借金のめどがつき始めた時、明治五年十月になって突如として政府から出たのが遊女解放令でした。


これは遊女の前借金を棒引き、国許へ帰る旅費のないものには其の旅費まで負担せよというもので、業者は嘆願を続けたものの実らず、福原は全く火の消えたありさま、大門も取り毀されました。


しかし今度は明治六年に貸座敷が許可され福原遊廓も出なおしとなりました。


ただ兵庫県が特殊だったのは明治六年六月十六日付けで市中ならば好みの場所で貸座敷途世を許すと、芸娼妓営業地の制限を解いたので、三の宮、元町、栄町に妓楼を開くものが続々と現れました。


即ち福原遊廓は明治に入って開廓した後、直ぐ移転命令→遊女解放令→津波被害さらに遊女屋がどこでも出来る様になった故、お客を上記の町の中心地に奪われました。


この新規の場所の中で一番繁昌したのが、楠公前八千代座の裏筋に出来た蓬莱長屋で、昔の引見世と同じ見世が幾つも出来、無理やり
通行人を引き込み散財させたので、“二度と行くまい蓬莱長屋、縞の財布が空になる”という俗謡が流行った程の賑わいました。


この続けさまの受難で閉店、廃業の店が相次ぎ、福原では僅かに七軒の見世が無理から大戸を空けていたに過ぎませんでした。


福原遊廓創設以来の取締だった藤田泰蔵は、あまりに廓に不運が続いたので、遂に廓務一切を放擲し姫路に移り梅ヶ坪に遊廓を開きました。これが梅ヶ枝遊廓の濫觴となりました。


参照:福原遊廓沿革誌



by gionchoubu | 2020-03-18 19:09 | 亡くなった兵庫の游所 | Comments(0)