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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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花街 柳原

花街 柳原_f0347663_11473277.jpg
画像の柳原天神社の隣に祀られている柳原稲荷神社は柳腹花街の信仰が厚かったとのネット情報があります。戦災でこの場所に移動しました。宝恵駕籠もしていたようです。


明治になり神戸では遊女は福原遊廓に限り、宿屋は小広町、神明町、逆瀬川町、東柳原町、西柳原町の五箇所に定められました。

これらの町は飯盛り女という名の非合法遊女や芸妓を置きながら、福原の様に正式に遊女屋渡世を願っておりました。

この頃、柳原蛭子神社の前に「柳原の門」があり、遊女屋があったのは此の門の外であったので、門外(もんそと)といえば遊女屋または柳原を意味しました。

柳原では、一つの場所で遊女と芸者と混在させているのは風儀を乱し、やがて柳原を滅亡させるだろうと危惧し、笹屋、奈良屋、西川、山秀、島米などのお茶屋と置屋が相談のうえ、芸者は其のまま柳原に残り、遊女のみ新川へ移しました。

是が柳原花街と新川遊廓誕生の由来です。関西では遊女無しの最初の芸妓のみの花街と見てよいでしょう。

柳原の花街が誕生した頃の明治12年の『兵神花柳細見』によれば、西川信席、淀川又七席、播本席、奈良屋佃席という五軒に分かれて、芸者は三十八人との事でした。

明治13年に柳原には芸妓88人舞妓2人がいた事になり、(『兵庫県統計概表』)上の数字と随分違います。

明治15年刊『豪商神兵湊の魁』に柳原町に六軒の料理貸席業があり、その中に淀川がありネット情報によれば、往年の映画解説者淀川長治さんの実家という事です。ちなみに『淀川長治自伝』に、実家が当時の花柳街の置屋だったと書かれていました。

その後明治27年に柳原淀検に芸者24人、柳原中検に26人の芸者が居たことになり席(せき)制度からより実用的な検番制度に移行した事が分かります。

神戸中検の芸妓が容色で東京の新橋と比較できるなら、柳原の芸妓は技芸を持って東京の柳橋に譬えられた、と言われたほど技芸の街でありました。

「柳原ながし」 作歌 宮本卯平 作曲 岡安喜太郎

兵庫柳原やなぎはないが 塗りの駒下駄素足にはいて 小褄なりふり柳腰
やんれ微風そよそよふけば 靡く心の恋もある

兵庫柳原やなぎはないが たそや行燈のかげ行く傘も 濡れて燕の飛び模様
やんれ春雨しとしと降れば 泣いて嬉しい夜もある

兵庫柳原やなぎはないが 欞子小窓にほのめく月の 影も艶めく四畳半
やんれ朧夜かすんで更りゃ 人にあかせぬ夢もある

兵庫柳原やなぎはないが みどり丈ながその黒髪を 添えて願いの朝詣で
やんれ暁しらしら明けりゃ 神に無理いう人もある 

参照:『福原遊廓沿革誌』『郷土研究 上方遊廓号』



by gionchoubu | 2020-02-04 11:50 | 亡くなった兵庫の游所 | Comments(0)