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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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西宮 戸田町遊郭


西宮 戸田町遊郭_f0347663_11552888.jpg

大正十四年、市制施行で西宮市が誕生した祝いと思われます。左に立花楼、右に音羽楼の名が見えます。傘を差せば傾けないとすれ違えない狭さです。

兵庫県、西宮は西国街道と中国街道が走り、港町であり、酒が名産、全国のえびす神社の総本社である西宮神社まであるという、花街・遊廓が育つ条件が揃う日本屈指の土壌がったと言えます。

さらに奈良朝時代より徳川時代初期頃までの間、諸国の宿場で春を売った傀儡(女)くぐつ(め)の守り神であった百太夫まで祀られているとあれば、直接西宮遊廓との関連は無いでしょうが、游女に縁の深い土地と言えます。

江戸時代に飯盛女という宿場女郎もいたはずですが、はっきりとした記録は残ってないようです。

明治初年に虎屋・油七等の旅館が貸席業に替わるも、一年余りで禁止され、間もなく営業を許され、貸席業者の中には娼妓と芸妓の両方を抱えるものがありました。

明治十年、東の町、石材町、久保町、鞍掛町、馬場町、中の町、釘貫町に貸座敷ならびに娼妓営業区域が指定されました。

明治十二年に兵庫県として娼妓と芸妓の兼業(二枚鑑札)が禁止された頃、西宮に芸妓72人と舞妓が6人おり、貸座敷が東ノ町ほか2町に23軒、娼妓は80人いました。

これでは風紀上、取締上よろしくないという事で、明治四十年、六馬、田中、丸谷、京吉、京與等本町筋に有ったものや馬場町にあった業者を東は与古道筋、西は今在家筋に至る戸田町界隈に集合させました。

これが西宮戸田町遊廓の起源で、土地の人は裏町と呼んでいたはずです。

大正の末頃には本町裏通(通称裏町)に貸座敷39軒、娼妓355名、芸妓126名と19軒の芸妓置屋がありました。

昭和4年、西宮遊廓移転問題が起こり、廓内は移転派と反対派に分かれました。反対派は、移転先の集客の不安と、新建築の費用の負担の捻出問題等を市長に陳述しました。結局移転問題は立ち消えになった模様です。

芸妓は都司楼、三福楼、阪東屋、東亭、おきな、さし金、常盤、橋熊、ごまや、〇長、〇萬、等の料亭に入ったものと思います。

店は写真式、娼妓は居稼ぎ制、遊びは時間か通し花制で廻しは取りませんでした。

六月には裏町遊廓の東はずれの円福寺の愛染祭があり、町の主婦たちが遊廓を通ると塩を撒かれるくらい、女の人が敬遠している廓の通りを、この夜だけはオケンタイ(大っぴら)に歩いて愛染さんへお詣りしました。

裏町きっての大店であった、本町から移ってきた六馬楼の店先には、美しい花魁人形を飾って参拝客の目を楽しませた事もありました。

その後、戦災で全滅したものの、終戦後またたく間に復興、ただし昭和32年7月に115人いた従業婦は、33年3月には88人に減り、この月15日、西宮席貸組合は解散式を行い赤線時代を終えました。

参照:『猥褻風俗辞典』宮武外骨、『西宮町史』、『兵庫県警察史 明治・大正編』
『全国遊廓案内』、『西宮大観』、『酒都遊覧記』飯田寿作、浅田柳一著、『神戸又新日報』昭和4年2月9日の記事、『神戸新聞、阪神版』昭和33年3月15日の記事

西宮 戸田町遊郭_f0347663_12000370.jpg

             市政十周年、昭和十年の写真
西宮 戸田町遊郭_f0347663_12044539.jpg

        ほとんど消失していますが、ここが戸田町遊郭跡と確信しています。
西宮 戸田町遊郭_f0347663_12064051.jpg

大阪の瓢箪山稲荷神社に、裏町きっての大店の六馬楼が奉納した玉垣があります。
遊郭業者が自分の郭内以外の神社に奉納するのは大変珍しいと思います。ほかに大阪新町関係も祀られています。



by gionchoubu | 2020-01-22 12:14 | 亡くなった兵庫の游所 | Comments(0)