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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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真光寺前の笹屋の八重菊

真光寺前の笹屋の八重菊_f0347663_14572407.jpg
         兵庫津の遊廓跡めぐりで、何度も兵庫大仏に会いました。   

先日、天保の末期から弘化の初年に掛け(1840頃)、佐比江町、真光寺前、土手下(湊町)に引店が出来て非常に繁盛したと書きました。

引店とは、客の袖を引いて無理やりに遊ばす、チョンチョン格子より更に下等なもので、船頭や漁師などの遊び相手となり、女は毛饅頭と呼ばれました。

宮武外骨の『猥褻風俗辞典』によると、この毛饅頭は武蔵の国本庄町でも使われたようで、“「毛饅頭」とはここに解説しがたき猥褻の語義なるべし。”と書かれています。

さて引店が下等なら、中産階級以上の人は『割』又は『両掛』と称する芸、娼妓兼帯の女のお世話にありました。所謂二枚鑑札の女です。是は嘉永年間(1848~1853)に磯之町に現れ日夜繁盛、磯之町の娼家は殷賑を極めました。

ところが、文久三年(1861)に天領であった兵庫津を管轄していた大阪の与力勤番所から、突然お触れがで、佐比江町、真光寺前、土手下の三箇所の引店と磯之町の両掛宿を一箇所に柳原に集め遊女渡世を厳禁し、宿屋に業種変更を命じました。

しかし、女に多額の投資をしていた業者は結局、表面は宿屋であるが、実は日本全国何処でも行なわれていた様に、飯盛女の名目で女を留め置き、遊女業を勤めさせました。

当時の柳原の大店として、佐比江から西川、奈良屋、佐野屋、赤源、播重、公辰、山秀、土手下から住吉屋、竹の屋、真光寺前から笹屋、橋本、磯之町から明石屋、箔屋が引越しをして来て、西川と山秀は昭和になっても営業していました。

当時兵庫津で名を馳せたのが真光寺前の笹屋の八重菊で、其の頃の流行歌に

娼妓(おやま)買うなら真光前で、音に聞こえた八重菊買やれ、この妓匂いも色もある

と囃されました。柳原に移ってからは本名の小菊を名乗り全盛を続けました。

さて、そもそも与力勤番所がなぜ柳原に多くの宿屋を必要としたか・・・それは幕末の坩堝の中、幕府の軍勢が長州征伐に向かう際、幕府軍の兵士が泊まる宿屋が徹底的に不足したので、それに充当する為という、幕府存亡に賭けた事情があったからでした。

幕末の見逃された歴史と言えそうです。

これに先立つ二十年前、天保の遊所整理で大阪でも泊茶屋なるものが誕生しましたが、或いは裏にこういった力学が潜んでいたのかもしれません。

参照:福原遊廓沿革誌

真光寺前の笹屋の八重菊_f0347663_15022214.jpg
                真光寺


by gionchoubu | 2020-01-19 15:05 | 亡くなった兵庫の游所 | Comments(0)