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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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南地大和屋へらへら踊り

南地大和屋へらへら踊り_f0347663_11531061.jpg
 多恵さん88歳にしてこの動き

明けましておめでとうございます。今回はお正月ということで何となくお目出度いものを書かせていただきます。



明治の二十年から三十年にかけて、東京の寄席で当時若手の噺家であった三遊亭円遊がリズミカルで速いテンポのコミカルなステテコ踊りを始めて大いに受けました。男性の下着のステテコの語源はここにあります。


四代目立川談志はこれまた「二十四孝、郭巨の釜堀りテケレツのパア」というなんとも不思議な踊りを始めました。


この流れの一つであったのが万橘のへらへら踊りで、赤い手ぬぐいで頬かむりして、赤い扇子を広げて、ヘラヘラヘッタラ、ヘラヘラヘという奇妙な歌を唄いました。


その後オッぺケ節で有名な川上音二郎の壮士劇の前座で、芸妓、女優としても又、川上音二郎の妻として名を馳せた貞奴が万橘のへらへらをアレンジして、そのチラリズムが受け評判になりました。


大正十二年の関東大震災の影響で世の中が不景気になったので、大阪南地五花街大和屋の主人、日本花街史の巨人と言っていい阪口祐三郎が、なにかパーッと賑やかなことをやらねば、と当時はすたれてしまったへらへらをアレンジ、散在の踊りとして華やかにし、座敷の余興に芸者衆に演じさせたのが「南地大和屋名物へらへら踊り」なのです。


この復興のくだりを昭和四十九年、松竹新喜劇の藤山寛美が舞台に挙げてDVDになっています。


桂米朝さんに直接語って頂きますと、


いずれにしても、バカバカしさの極地のようなふざけた芸である。いつぞや大和屋の芸妓衆が東京の国立劇場でこれをやったとき、客席がまるで芸術品に接するような雰囲気で、厳粛な面持ちでシーンと鑑賞されたので、演者連中はやりにくくて困ったという。


とにかくお座敷の、酒席の芸であることは、間違いない。


そのバカバカしさの極地のような芸が、洗練されていったときにはじめて
「こいつは全くしゃれたものじゃ、粋なもんじゃな」という観かたができる 


(これはお客側の問題になるが)これはある意味で非常に高度な、レベルの高いはなしなのだが・・・


以上『大和屋銘名物へらへら踊り』桂米朝より


それでは、へらへら踊りの唄の文句の一部を


√お竹さんお前はね宗右衛門町で


見た顔じゃァ見た顔じゃ見た顔じゃ


其の時に嬉しい話を聞いたげなァきいたげなきいたげな


ヘラヘラーヘ ハラハラーハ ヘラヘラノヘー


//////////////////////////////////////////////////////////////////////


さて、先日大阪のミナミから京都の宮川町に移り地方をされている多恵さんが芸妓として日本で唯一このへらへらを踊れるとのことと知り、お座敷中の座興としてその一部を踊っていただきました。


現在、へらへら踊りは大和屋が山村流にお返ししているので、正式な場では山村流の許可がいりますので、雰囲気だけ味わいさせて頂きました次第です。
南地大和屋へらへら踊り_f0347663_11544863.jpg
昔の関西ローカルテレビで十三の料亭三笠のコマーシャルがあり、和服のおねえさん達がこの逆立ちを広間でやっておりこれを見た人は一生忘れないのでは。

“五十櫓の何とかの上で きーんの しゃちほーこぉ 雨ーざーらし~”みたいな歌詞でした。





by gionchoubu | 2020-01-01 11:45 | 舞妓・芸妓 | Comments(0)