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姫路の白線と花街

これらの業者は殆どが飲食店経営営業もしくは無許可で商売を続け従業員に客を取らせている。
とあります。伊伝居(いでい)は赤線梅ヶ枝の直ぐ南で歩いて五分ほどの住宅地です。さて、東新地と山陽新地はどこでしょう?
答えは一年後の神戸新聞昭和34年3月28日の記事「あれから一年 赤線の灯は消えたが・・・」にありました。
記事には「姫路の売春は生きている。“ただ北から南へところを変えただけだ”と姫路署の一署員はずばりいいきっている。
姫路市内で売春地帯として公然と活動しているのは山陽姫路駅の南、通称“南地”の一部と光源寺前町の通称東新地。南地は二十五軒、売春婦六十人、ポン引二十人、東新地は十八人、売春婦三十人―四十人、ポン引約十人と警察は推定しているが、いずれもスタンド、バー、飲食店にカモフラージュしている。
それに最近目立ってきた傾向は非常に組織化してきたこと。道路で客を引く女たちの周辺には必ず見張りがつく。
金払いの悪い客がわめけばどこかららか若い遊人風の男たちがドッと出て来てたちまち袋だたきにする。
女が警察につかまると至れりつくせりの差入サービスするなど暴力団のバックが白線をガッチリ支えていると姫路署はいっている。~略~」
山陽新地は南地の事だと思います。
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姫路の花街に関して情報は極端に少なく実態像は殆ど掴めていません。
明治十年、姫路は芸妓、舞妓の許可地域に定めらており、
兵庫県統計概表によると明治十三年に西魚町に芸妓56人、舞妓6人とありました。
姫路の歓楽街魚町通りの碑の文面です。
“江戸時代初めの西魚町は、魚屋が立ち並ぶ町でしたが、江戸時代中期以降、料亭や芸妓屋などが立ち並ぶ花街へと姿を変えました。
明治7年、姫路城内に日本陸軍が駐屯すると、この界隈はますます賑やかになり、大正時代には芸妓137名・舞妓19名が在籍しました。
今日では芸妓の姿をみることはできませんが、今でも多くの居酒屋などが立ち並び、朝まで賑わいが続きます。”
姫路市が出した『姫路百年』の盛り場慕情に
「ますます活気を見せる姫路の商工業に呼応するかのように、花柳界もにぎわった。福島楼や井上楼などの料亭や小料理屋が軒を連ね、検番も置かれた魚町は、姫路一番の盛り場としてにぎわった」とし、芸妓衆による姫路踊りや、昭和天皇のご成婚を祝い練り歩く芸妓の写真が載ります。
昭和30年代には魚町通りには柳の木や粋な板塀など花街の雰囲気が残っていたという事は戦前で花街は無くなったと推測されます。






