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洲本、遊郭、花街、赤線

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                      2011年撮影

『兵庫史学第32号』の「洲本遊廓」新見貫次著、によると幕末淡路に遊廓が数箇所ありました。洲本では明和に入り由良港の出入りが便利になると明和四(1767)年、四丁目中津街に紀国屋と平野屋の二軒の青楼が許可されました。

この紀国屋には哥木という遊女が最も有名だったと『堅磐草』に出ているそうでこれが淡路郷土誌中唯一の遊廓に関する記事との事でした。

俗謡に

「福良湊は入能ようて出ようて、女郎の情のない湊」

「志築女郎衆は水くれと云たら、くれる真似してくれなんだ」

「志築女郎衆は茶碗の湯着、色はしろうても水くさい」

・ ・・あまり評判は良くなかったようです。

『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 洲本』新見貫次著によれば  淡路島の洲本の猟師町(現在の海岸通り)に洲本遊廓がありました。明治十年発行の淡路新聞には、遊廓設置反対と賛成の議論があったものの、同十二年郡長の名で免許が下りました。

場所は洲本港の入り口で、ここを通らなければ町にはいられませんでした。

『兵庫県統計概表』によると明治13年に洲本の漁師町に芸妓85人、舞妓5人がいた事になり、これはかなり大きな花街だったといえそうです。

つまり漁師町は関西でよくみられる遊廓と花街が同居していた色里でした。

『兵庫県警察史 明治・大正編』によると、名東県(当時淡路は名東県)は人形浄瑠璃がさかんんな土地柄で芸妓志望者が多かった。とあるのは芸妓の多さを裏付けています。

昭和五年刊『全国遊廓案内』によると、妓楼約十九軒娼妓約百名位いて、兵庫県では室津、篠山、そして洲本町遊廓の三箇所のみが陰店(屋内で実際娼妓を見た上で指名できる)であとは写真式(写真のみで娼妓を選ぶ)でした。

神戸や明石、西宮、姫路などの都市部は全て写真式なので、交通の便が悪いこの三箇所は当局から大目に見られていたと考えられます。

張店(道路から格子越しに娼妓を選ぶ)は明治期、陰店も大正半ばで人道上の理由で禁止されましたが、遊客は当然直接自分の目で敵方(あいかた)を指名したかったはずです。

渡辺寛著『全国女性街ガイド』によると洲本桟橋で降りて観光バスに乗ると嫌でも遊廓を通る仕組みになっているが最近、学生旅行(修学旅行)の風紀云々で別に道路を作った、と赤線時代終盤の様子を伝えています。

又、同書には洲本より島の東北にある岩屋町に酌婦が三十名程あり面白く遊べるとの情報がありました。

読売新聞 神戸版 昭和三十三年三月十五日に『消えた洲本特飲街の紅灯』の見出しがのり赤線時代最後の様子を映しだします。

「売春防止法施行の四月一日を前に洲本市猟師町、通称“ハマ”の歓楽街は十六業者のうち営業を続けていた八軒も十四日一せいに廃業、従業員十二人も解放されて十五日朝帰郷、八十年の伝統を持つ“洲本特飲街”の紅灯は完全に消えた。」とあります。

同紙によれば、旧組合事務所を工費三百万円でキャバレーに改装、約四十人のダンサーを置き、ひき続きパチンコ遊技場、トルコ風呂、子供遊園地、水族館んなどの娯楽センターを作る予定とありました。

花街側の情報としまして、洲本小唄には四バージョンあったようです。それぞれ一番だけ紹介すると。

√洲本来てから 洲本きてから 恋やけ日やけョ ハ、ヨイコラサット かえりともない 涼風に ハ、ヨイコラサノサッサト ウイタウイタウイタサット

√洲本大浜松原づたい行けば青潮、五色の砂に寄せてくだけて夫婦波、洲本よいとこ浜づたい

√イイネ町々 洲本の町は まどろむ鴎の波まくら、ソートゆらゆら金色に 海原そめたよ朝の日が・・・

√洲本ヨイヨイ三熊山眺めがすてき ちぬの海原、ヨイトサ、遠ちの山エザヤン ソヤザン

今は昔の華やかな様子が浮かびます。

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貸座敷だったのでしょうか?
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                 以前はこの手前は海だったとのこと


by gionchoubu | 2019-11-10 17:01 | 亡くなった兵庫の游所 | Comments(0)