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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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裏寺の盆屋

裏寺の盆屋_f0347663_11261328.jpg

昭和32年11月26日の京都新聞夕刊の『都大路 裏寺町通 お寺の軒先に酒場 ただよう庶民の哀愁』の欄があり、新京極の盆屋の情報が載ってました。

~略~

「このころ、“ぼんや”とよばれる出会い茶屋があった。いまの連れ込み宿、温泉マークの草分けである。

室町の呉服問屋付近のよろめき婦人と番頭らが、道ならぬ恋のために利用したそうだ。

当時新京極には明治座、中座、朝日座、京都座などの芝居小屋があった。芝居見物に来たよろめき婦人が、付添いの女中をまき、得意先まわりの番頭がデッチに小遣をやって遊ばせて二人だけの逢瀬を楽しむ、絶好の地理的条件をそなえていた。

“ぼんや”の構造は変っている。ノレンをくぐるとすぐ段バシゴがあって二階には寝具を用意した四畳半があった。

この家の主人も女中も決して顔を見せず、ゲタの音を聞きつけてあいさつ、お茶もフスマの外に女中が声をかけて置いて行く。

お客も用事がすめば茶ボンになにがしか金を置いて帰る。だれにも知られず、事がはこんだわけだ。後のこの“ぼんや”に女を置いて客の好みによってアルバイトの女店員らがお相手を努めた。

“よろめき夫人”も“お座敷喫茶”も戦後の産物のようにさわがれているが、明治のころの大人たちも結構楽しんでいたわけだ。

大正の終りごろ、このような商売は姿を消した。建物は今も残っており旅館“相生”が当時の面影を残している。」

(ただし昭和三十一年の住宅地図ではこの相生は確認できませんでした)

ちょうど新京極から盆屋がなくなる頃の記述がを『全国花街めぐり』で松川二郎が述べています。

「京極の裏町にはボン屋といふのがあって、まるで西鶴そのまゝであった。淡い蝋燭の光の中で、牛屋の女中や小料理屋の女中と出会うのである。

例のつかみ取りといふ奴で(六字伏字)である。

そこへは随分変った女が出入りしてゐた。善哉屋の小婢、芝居の中売り、洗濯女、煙草屋の娘、さういふ種類の女が五円くらいな金で。一番をかしかったのは鉦たたきの尼であった。

頭はぐりぐり坊主で、薄よごれのした布子を着て、白木綿の細ぐけをしめている。『町方はんどすか』なぞと云って汚れた歯を出して笑う女をみたら、大がいの人は深刻さに慄へあがるであろう。

家が一円、女は二円だった、無論泊りではない。」



by gionchoubu | 2019-08-29 11:29 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)