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宮川町の白人

以前も少し触れましたが、遊里における白人(伯人、珀人、泊人)について書いてみます。
宮本外骨の『猥褻風俗辞典』には
「今日の祗園、大阪の島ノ内、新地などに居りし私娼を言えり。元禄宝永(1688~1711)の頃より唱えしか。「白人、呂州」の名は『艶道通艦』および『俗枕草紙』などに出ず。公娼たる黒人に対して「しろうと」と言う字音に呼べるなり。
と有ります。『守貞謾稿』では「今は廓外上品妓の名となる。」
つまり、江戸期に於いて、京都の島原や大阪の新町の公許の遊郭以外の京、大阪の高級遊女ということになります。
さて、宮川町の白人について昭和32年10月26日の京都新聞夕刊の『都大路 宮川町通 町人のうさばらし しろうとの呼名・白人』の見出しで述べています。
是によると、元禄十六年、洛陽書林の岩田屋半七が書いた『傾城仕送大臣』に宮川町の名があり、白人と呼ばれる種類の遊女が居たことを物語っています。
元禄頃に
「問ひつ問はれつ隔てぬ中に、つらや聞んせ身のうさを、姉は白人、わしゃ茶屋つとめ、つぎの弟に陰間をさせて、父さま駕かき、かヽ臼ひきで、一の妹に立君させて、五條あたりの月見せて、よいのさんさ、はなればなれの憂きつとめ」
という余りに悲惨なものがあり有り、白人、茶屋娘、陰間も立君(路傍で客を引く最下層の遊女)と変らぬ貧家の娘であった事を歌っています。
古歌に「宵の間はえりあまさるる立君の、五条わたりの月ひとり見る」があり、五条の月が立君の枕詞のような関係にあったことを窺わせています。
高級遊女白人も、もと貧しい家の娘で十歳前後で売り飛ばされ、一人前になると同時に客をとらされました。
江戸中期までに、京都はすでに近代ブルジョアジー発展の中心地の一つで、巨額の富を得た商人は、何かと堅苦しい、大名などが客になる島原には行かず、宮川町、七条新地などで金に糸目をつけず、白人と遊んだのでしょう。
