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by gionchoubu
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枚方の遊郭 鍵屋

淀宿と守口宿の中間にあった枚方宿は岡新町から、泥町村の南端まで十三町十七軒、京阪枚方駅から枚方公園駅までおよそ1、5キロと非常に長い宿場町でした。
宿場の経営は、今で言う補助金が出る場合もありましたが、基本宿場維持は宿場側の持ち出しであり、公用の貨客輸送の任を帯びた枚方宿の財政維持は困難を極めました。さらに、枚方宿は京街道を通る紀州、泉州の大名行列や長崎奉行の往来もあり、財政を圧迫しました。
幕府は宿場運営にお金は出さない代わりに、飯盛女の名で遊女を黙認しました。
宿場維持の為飯盛女が消耗品として酷使されるという図式は容易に想像されます。
枚方宿の四村の一つである三矢村では文政十三年から元冶元年の三十三年間で三十四件の飯盛女死亡の記録があります。これは史料に恵まれた事例とされ、枚方宿の飯盛女全体ではいったい何人亡くなっていたのか分かりません。
さらに遊廓につきものの心中事件も以上に多いのが枚方宿の特徴と。宝暦五年より文政十年まで六件の心中事件の記録があります。
享保七年大賀越前守は幕府の方針として心中御法度のお触れだし、心中という言葉すら相対死という言葉を充て重犯罪としました。
明和二年四月十八日、伊八女郎・中振村新七の心中があり、男は死そんじ、女は埋められました。その後八月六日、新七は打ち首、女郎は掘り起こされ、二人とも晒されたほど厳しいものでした。
諸国遊所競には、最下段であるものの、かはち、ひら方で顔を出しています。
もう一つ、枚方は水路交通の要所として、三十石船が昼夜別なく行きかったことで、枚方付近にくると、くらわんか船という小船がこぎ寄せて、河内弁で「餅くらわんか、酒くらわんか」と物を売りつけにきました。
客が拒絶反応をしめすと、汚い言葉でののしり、三十石船の苫を手荒く引き上げ、寝てい客を驚かせしましたが、天下の特権としてお咎めは無かったそうです。
現在も残る鍵屋のある三矢村堤町一帯は弦歌さざめく歓楽の地で「淀川三十石船唄」に
√ここはどこじゃと 船頭衆に問えば
ここは枚方鍵屋浦
鍵屋浦には 碇はいらぬ
三味や太鼓で 船止める
『宿場町』芳賀登著:『枚方市史』:『新版 郷土枚方の歴史』



