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by gionchoubu
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奈良木辻遊郭ぞめき 三

『大和タイムス』昭和33年2月22日「七百年の歴史をもつ木辻 全盛の大正時代には四百人も」を読むと、日本の遊廓制度は秀吉が北条氏を討って国内統一する前年の天正十七年(1589)二条柳町の廓としているものの、木辻街ができたのを建長年間(1249~55)としています。(木辻遊廓誕生は寛永六年は新聞上も認めています)
この当りが奈良木辻日本遊廓最古説の出どころかもしれません。
さらに元和九年(1623)年には大和郡山城主松平下総守の家臣がよく出入りしたそうです。
又、当時は売春婦のことを巫娼(フショウ)と言った所から神社に仕えた巫女の衰えたものが集まって始めたのではないか、という推察も紹介しています。
木辻は木辻鳴川と呼ばれ、遊客には平城京の東西両市に通う商人たちが多く利用しました。
当時は表構えが一寸七分の丸柱と二寸五分の桧柱を組んだ格子が遊女の出入りを拒みました。
『大和タイムス』昭和33年3月10「紅い灯もあと六日」の記事に木辻の様子が映し出されていました。木辻の部分を見て見ると
「シカの模様とともに親しまれた入り口のネオンをはじめ、軒先の赤、黄、緑三色の灯が消え、あかりといえば道路中央につるした薄暗い街路灯と門灯だけ。
表通りをとおるだけでは接客婦のはでやかな着物姿もみかけないというさびしさ。八十八人の接客婦のうち就職が決まったのはわずか四、五人程度だという。
婦人相談所を訪れる女性も目立って増えてきているが、ケ・セラ・セラが彼女らの大半をしめているようだ。
しかし接客婦の場合は年が若く、職業が決まらなければ一時収容所にでも入ることができるが、一番あわれなのは六十人近くいる引子だ。
殆どが五十歳以上、子供が病身のものや夫が戦死した未亡人、酒グセの悪い主人をもって家へも帰れないものなど悪環境のものが多いだけに“廃業”は生活に直結した切実な問題になっている。
業者の転業や接客婦の更生とは別に、引子たちは福祉事務所が中心になって生活保護を検討することにしているが、いまのままでは“十六日からの生活に困る”と訴えている。
しかし郡山の岡町、洞泉寺のさびしさに比べると、木辻にはまだ“赤線”の雰囲気が多少ながら味わえる。“ここで赤い灯を知っとかないと永久に知ることができない”と興味本位にやってくる客や、なかでも他府県からの観光宿泊客が多くなっていて、それだけ活気を保っているようだ。~略」