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奈良木辻遊郭ぞめき 二

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木辻をもって日本最古の遊廓とされる文章に出会うことがあります。これを検証するには遊廓の定義から考えていかねばなりません。

明田鉄男氏さんは『日本花街史』で花街(遊廓)の定義を「遊女屋、芸者屋などが集合した機能的に統制のとれた地域」とし狭義の花街は天正十七年(1589)の秀吉が認可した京の二条柳町の遊廓としています。

私の調べた限り、木辻にそれ以前に遊廓の存在は確認できず、最古と言われるのは、ただ京の都より奈良の都の方が古いから・・・ぐらいの気分で口にのぼるのだと思います。

『黙魯庵漫録』新藤正雄、印刷及び発行所によると、町の両口に吉原の様な大門があり、遊女は玄関取次ぎの男袴を着て出客を迎え、主座の女をバンヤと呼んだとの事で甲子夜話の巻五十六の第十五項に書かれているとしております。

元禄頃には木辻の遊廓はもっとも盛んで柳里恭の随筆には木辻の名がたびたびでているそうです。(文芸倶楽部第八巻第六号定期増刊より)

『諸国遊所競』で木辻は前頭の最上段で京の先斗町や北野七軒(上七軒)の上位にあります。江戸時代に於いて木辻がかなり全国的に知られており、それなりの格を備えた遊所だったはずです。

昭和五年九月十四日の大阪朝日新聞奈良版によると、

「木辻遊廓に絡る証文。古来全国に知られた奈良木辻遊廓の遊廓史というやうなものが編纂されるなら、そのうちの興味ある一ページを占めるだろうところの資料が最近北城郡王子町の考証家保井芳太郎氏によって掘り出された、明治七年の右証文がそれである・・・文面によると、

明治五年十一月(実際は十月二日)御解放の御布令があった翌年一月御改正に相成り、木辻の元傾城屋十一戸のうち碎郷社(森井直七ほか四名)と花郷社(中川亀吉ほか五名)の二つの会社だけは営業を許された。だが両会社とも一戸につき芸妓三人、娼妓七人、合計十人以上は決して抱え申さず・・・

というのである。

右のほか文政ごろの多少古いところで十三歳位の娘を向こう十何ヶ年という長い年期で苦界へ沈めたという芝居がゝりの証文も一束になって現れた」

新政府の「芸娼妓解放令」の三ヶ月後には、再び遊廓が息を吹き返した様子が受け取れます。


by gionchoubu | 2019-06-24 10:49 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)