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奈良RRセンター その四
奈良R・Rセンター周辺のパンパンの宿舎は尼ヶ辻一丁目に多かった(三十四戸中三十十戸)のはセンターにアメリカ兵が何時に帰ってくるか分からず、帰った時すぐボーイが彼女らを集められる位置にあったからに他なりません。
そしてパンパンの三分の一が自分の住処にアメリカ兵を連れ込んだといいます。
画像はパンパンに土地を貸していたある貧農家の見取り図で、パンパンとアメリカ兵は敷地内にあるバーで遊んでから台所を通り、家の土間を通り四畳ほどのパンパンハウスに行きました。
家の中を通り抜けるのは、入り口通りを使うとMPにつかまるからでした。バーからハウスまでパンパンとアメリカ兵が抱きついて土間を通るので、持ち主の母親は子供達を部屋の隅に押しやったといいます。
取締りにはセンターにMPの詰め所があってMPと奈良市警で当たっていたものの“義務的に廻っている”にすぎませんでした。
R・Rセンターが国家的な存在なのに、取締が地方警察に押し付けられている感がつよく、実際、タバコ、酒、ヒロポンなどの取締りも見て知らぬ振りという非難の声も上がりました。
売春婦登録簿による出身地調査票をみると、閉鎖前388人いたとされるパンパンの30%が大阪方面出身です。同調査では大阪Nの住友ビルからRRセンターが奈良に移転してきたからだろうと分析しています。又出身地は日本全国1都2府34県におよんでおりました。
パンパンハウスが集中していた尼ヶ辻一丁目の全人口が190名であることを考えると、この町内のパンパン密度は以上というしかありません。
ある家では両親が若夫婦を納屋にいれ、七つの部屋を15人のパンパンに貸しており、町内でも呆きられていたようです。
パンパンの衛生意識は低く、センターが開かれた当初は入浴させる家は一軒もなく、彼女らは井戸端や炊事場で行水をして凌いでいました。
又、女たちは強制的に週一回の検診を受けなければならず、これをクリアーすればN・E・Sと画いたバッジを胸につけており、アメリカ兵はこれをもとに交渉しました。
ただこの実効性ははなはだ疑問で、それが証拠にパンパン自身が性病を恐れサラの兵隊を求めたことでも伺い知れるのです。
参照:古都の弔期 奈良R・R・センター調査報告書 奈良R・R・センター調査団
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