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奈良RRセンター その二


f0347663_10560329.jpg

                        近鉄尼ヶ辻駅

今回参照しているのは1953年8月発行の『古都の弔旗:奈良R・R・センター調査報告書』奈良R・Rセンター調査団によるもので、同調査によるRRセンター、の移り変わりを記すと


1952年5月 1日 RRC設置

     9月 3日 廃止同盟結成

1953年6月26日 一時閉鎖

     7月27日 再開=朝鮮休戦

     8月11日 神戸へ移転発表

と非常に短い期間だったことが分かります。

さて、RRセンターを中心としたパンパンとアメリカ兵との売春の形態を見ていくとまず挙げられるのはバー・キャバレーを中心とするもので、五日間の休暇を与えられたアメリカ兵はバーなどで営業者やボーイと交渉し女を手配するというものである。相場は一日五千円で、パンパンが謝礼として一割ほどボーイに支払っていたようです。

もう一つは反社会集団を中心としたホーハウスという根拠地(名前の由来も、場所も不明)を持ち自動車を使ったもので、この場合はパンパン三割、親方三割、ポン引き三割で、残りの一割はパンパンが検挙された時の差し入れや予備費という名目で親方が保管していました。

その他アメリカ兵とパンパンの直接交渉があるものの、発覚すればこの世界の慣例として営業主及び同僚から大変なリンチを受けました。

RRセンターの周辺を見てみるとカフェ、バー三十四軒、ギフトショップ十二軒、パンパン・ポン引き用の飲食店七軒、キャバレー四軒、写真店(スケッチ屋)四軒、洋品店三軒、ストリップショー三軒、靴屋二軒、美容院、衣料店、射的、駄菓子屋それぞれ一軒で経営者は大部分、大阪、京都の人々で、その中には大阪の台湾人四人、奈良の朝鮮人一人、奈良の地本三人という事でした。

バーの建築には耐火建築であることが建築条件ですが、三軒が条件にかなっているのみで大部分は木造に原色豊かな仮建設でした。

上記の移り変わりを見てみれば、この降って湧いたようなRRCの開設がいつ廃止、移転されるか分からない情況の中、大きな投資をしてバーを建設するのが躊躇われ、殆どがバッラク状であったのは無理ならからぬものだったのは容易に推察されます。

実際奈良RRCは一年三ヶ月で神戸移転が発表されました。

当初RRセンターがあったのは横浜、大阪、小倉、この大阪のRRセンターが奈良移り、さらに神戸に移転したわけです。
奈良以外はすべて港を持つ町で、港を持たない奈良は海兵隊にとってかなり不便な立地であったと思われます。

今後事情が分かれば大阪から奈良に移転された理由も調べてみたいと思います。

by gionchoubu | 2019-04-07 11:05 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)