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by gionchoubu
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奈良市 南市の花街 三
「奈良南市町新検番では最近芸妓の技能が著しく低くなり暫時堕落するといふ声に鑑みて、これが挽回策として愈々試験制度を採用することに決定し、その第一回の試験を二十六、七両日同町中央倶楽部で執行した。
受験する姐さんは同検番六十八名の紅裙連で科目は舞三味線の二つ、題目は五日前に検番から姐さん連に通知ずみだが、この試験は二ヶ月に一回づ々行なわれるので、万一これに落第すると芸妓稼ぎができないといふ厳重な掟である試験が情実に流れるといけないから、試験官には村山、中岡の二氏、それに玉之家の女将と大阪から若柳師匠を招いて公正を期した。
第一日の試験日である二十六日は午前九時から受験者が一名づゝ中央倶楽部の舞台に呼び出され、両側には試験官が座り、観覧席には数十人の置屋が居流され、抱芸妓の出来ばえ如何を固唾をのんで聞いてゐた。
舞台に呼び出された受験生の姐さんは生きるか死ぬかの境といふので根締めの冴えた馬力を見せ、さす手ひく手に異常の緊張感を見せたが、残りの妓共は二十七日試験を行い終ると同時に成績を発表する。
他所から仕替をとった芸妓連も試験を受けねば芸妓に出られないことになった。
しかし新検番のこの新しい試みは確に芸妓の技を上達せしめるのに相当効果を奏すものと見られてゐる。」
しかしながら、この後も南市町の花街は名妓の声も聞かず、色街の町として定着しました。
元林院と南市町は隣接しており二つ合わせてもその敷地は随分狭いものです。
これにそれぞれの検番があり、元林院が芸の道をすすめば、芸の町が両立するのは至難の業で、どうしても南市町は色街の道をすすむしか生き延びる道はなかったのでしょう。
後年南市町は乙部と呼ばれていたようですが、組織として甲乙制をとったという記録は見当たりません。
すこし遊廓の甲乙制について考えますと、祇園甲部と祇園乙部(現祇園東)は明治十四年に分離したとき名前を甲、乙にしただけで甲乙制と私は考えていません。(冗談みたいな話ですが、この分離したときの祇園乙部の取締が中村乙吉でした)
つまりそれぞれが取締りを持つ全く別の組織で同じ遊廓の中で甲乙をもった甲乙制とは似て非なるものです。
ただ、良く知られた祇園の甲乙がイメージとして他所のプロトタイプになった可能性はあります。
遊廓(花街)の甲乙制はまた別の機会に提示したいと思っています。

