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奈良市 南市の花街 二

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昭和四年発行、松川二郎著『全国花街めぐり』によれば当時元林院の元検に属する芸妓置屋十九軒、芸妓百三十五名に対して、南市の新検に属する芸妓五十七名、幇間一名、やとな七十三名となっています。

ちなみに元検は同書でガンケンと振り仮名がつけてありますが実際はモトケンと呼ばれていました。又新検も通称で正式には奈良検番株式会社でした。

この両検番を中心として多数の呼屋(料理屋)が元林院、南市に跨って散在していました。中には置屋と呼屋を兼業していたところもありました。文面からみると、所謂お茶屋はこの両花街になく、芸妓は基本料理屋や旅館に入ったものと思われます。

新検はもともと元検に対抗して開業し、軽便主義を標榜して芸妓の粗製濫造をしたため、元林寅の芸妓に対して南市の芸妓は品格も芸も甚だ劣りました。

そこで南市は上記にある当時流行の擬似芸妓といえる“やとな”を置き“やとな検番”を立ち上げ成績をあげていきました。

ヤトナは雇仲居という酌人、あるいは廓芸者に対する町芸者と言える一筋縄で説明できない女たちでその発祥説には、私は京都がその地と考えているものの、大阪、奈良とする人がおり、もし奈良発祥ならこの南市がその地と考えられます。

このやとなの芸名も一龍、春千代、音丸、君千代と芸妓名と変わらず、元検の芸妓か南市の芸妓か南市のやとなか・・・お客も、料理屋も、随分頭をひねったのではないでしょうか?

元検と新検はその成立当時から随分反目しておりましたが、この頃は元検が南市を圧倒する形で其の間も融和されるに至りました。

ただ、松川二朗によれば、この二つの芸妓が一つ座敷の落ち合ったような場合はなんとなく油に水を交ぜたような感じで座の白けるのは免れない。奈良で遊ぶ者は心得て置かねばならないとの事でした。

昭和五十一年発行『奈良町風土記』によると、南市の花街は俗に「乙種」と呼ばれ、観光奈良への客への客に対して大いにサービスに努めたが、最近は置屋の三軒に減り、かわりにスナックバー、喫茶店、キャバレー、映画館、旅館、料理屋などが軒を並べて繁華街としてその名をなしている、とありましたので、この時点で、まだ南市の花街は存在していた事がわかります。

奈良の元林院に所縁のある方にお聞きしたところ、元林院の芸妓は芸で身を立てていましたが、南市は不特定の男性と娼妓と変わらぬ仕事をしていました。



by gionchoubu | 2019-03-12 16:00 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)