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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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奈良市 南市の花街 一

奈良市 南市の花街 一_f0347663_12025441.jpg
南市は高天市、北市とともに南都の三市とよばれ正月五日に初市が行なわれました。

貞享四年(1687)発行の『奈良曝』(ならざらし)によると「南市町、町役二十七軒、いにしへ此所に市の立しゆえなり」とあるので市は相当前になくなりました。

町内の恵比寿神社は市の守護神で、近世には六方衆が管理していました。祭礼がこの正月五日に催されるので俗に五日えびすといい、大和の数ある恵比寿神社のなかで最も賑わいました。

この五日恵比寿祭はまことに賑やかで、恵比寿神社に周辺から猿沢池の周辺に百数十軒の露天がならび、昭和四十五年までは南市の芸妓をのせた宝恵篭十数台が市内を練この祭りに華を添えました。

奈良市の元林院を北境にする南市の花街が誕生したのが大正十二年、元林院の元

検(もとけん)に対し株式会社の新検という検番を持ちました。

大阪毎日新聞奈良版、大正十五年三月二十四日をみると、元林院に対して南市は敵国との表現を用いておりこの二つの花街は敵対していました。

南市の約百人の芸妓は、元林院が常に温習会や御所車の奉納など行い南都の人気を浚うのに対して、これに対抗する術がない南市の芸妓は大変肩身の狭い思いをもっていました。

そこで南市の姐さん達が芸妓芝居の計画をすると、巴席、中房席、井角席、登美屋、千鳥席、福の家、稲田席、浪花席の芸妓計十三人が同調し本読みや振り付けの稽古を始めたといいます。

これに「風儀を乱す」として中止の厳命をだしたのが他ならぬ南市の楼主達でした。

“もともと温習会の一度もせぬ癖に芸妓が勝手にする芝居にまで干渉するとは、そりゃあんまりじゃわい”と怒り心頭、無関係の美形連まで同調する及び、とうとう楼主側が折れ、廓が一致して応援することに変わり、大阪から降り付け師二人を呼び猛練習中との事でした。

元林院は遊廓を母体とする花街の中で、西日本で最初に娼妓を廃止した花街で、娼妓を求める男性には同じく市内にある木辻遊廓があるものの、元林院よりそこそこ離れているので、元林院と隣接する南市は転び芸者が多く、元林院が役所の上客や旦那衆を客としていたのなら、観光客やそれなりの客をターゲットにしており、楼主は営業的な見地から南市の芸妓に、金も時間もかかる芸は必要ないと考えていたのでしょう。



by gionchoubu | 2019-03-10 12:10 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)