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by gionchoubu

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地蔵盆と槙村正直

地蔵盆と槙村正直_f0347663_15015281.jpg
                       祇園新橋火除け地蔵

昭和26年8月24日の夕刊京都新聞に載る田中緑江さんによる『地蔵盆の由来』を読むと、京都で今も盛んに催される地蔵盆がもっぱら子供たちによって行われるのは、地蔵菩薩が賽の河原に遊ぶ子供たちの保護にまで心を配る大慈悲心に対し、子供の方から慈愛の情をささげることに始まるといわれています。

ただし、そのことは文献にもなく確かな説ではないようです。

地蔵盆の起源は空也上人がつくった「地蔵和讃」が大人から子供に広がり、子供がこれを好んで称えたところから、地蔵そのものが子供の心にとりついていたものらしいとの事、地蔵盆の行事が始まったのは幕末から明治にかけてはじまったとも書かれています。

そして明治初年ごろ当時の京都府知事が迷信打破のため市内にある地蔵さんを全部うずめたのを後に水道工事、電車路線工事のとき掘り起こして各町内に配置したのが現在の地蔵さんでこれが約五千体とのこと。

果たしてこんな事があるのでしょうか?当時の知事というと槙村正直、『維新 京都を救った豪腕知事』明田鉄男著によるとこれは全くの事実でした。

槙村は明治五年七月、お盆行事は「文明の敵」とし、「お盆の行事は禁止」という布令をだしました。

知事によれば「七月十五日前後を以って盂蘭盆会(うらぼんえ)と称し、精霊迎(しょうりょうむかえ)、霊祭(みたままつり)などとして、未だ熟せざる菓穀をとりて仏に供し、腐敗し易き飲食を作て人に施し、或は送り火と号して無用の火をながし・・・」

大文字送り火を無用の火と決め付け、地蔵を全部埋めるなど、信心深くない京都の人さえ震え上がった事でしょう。信心深い大多数の都人にとって槙村正直は魔王のように映ったにちがいありません。

知事の考えによるとこれらの旧習は弊害であり「文明に進歩する児童の迷い」 を生ずる原因となるのです。

そのすこし前、明治四年一月の社寺上知令により、大寺院は境内地を除く大部分を失いました。清水寺にいたっては十五万六千坪のうち十四万三千坪が寺側に一銭の補償もなく取り上げられたのです。

このとき誓願寺、誠心院など多くの寺の領地を削りとって強引な工事で出来上がったのが新京極であり、健仁寺の.北側の土地を取り上げ祇園花街にただ同然のお金で渡したのが現在の花見小路四条南側の祇園なのです。

ですから花見小路の名づけ親も槙村正直をとされている所以となります。



by gionchoubu | 2019-02-26 15:05 | Comments(0)