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by gionchoubu
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あやめ池新地

当時を伝える建物、現在病院として使用されています。元は紀の国屋という旅館でした。こういった形で保存されているのは大変素敵な事です。(2月10日付記、ブログでこの建物を紀の庄とされている方がいらっしゃいまして、そちらの方が正しいかもしれません。)
大正15年にあやめ池遊園地開園(花菖蒲園、演舞場、小運動場等の施設)
昭和4年「あやめ池温泉」開園しました。
大阪朝日新聞大和版、昭和4年7月21日によると
「きのふ開館したあやめ池温泉 四十万円もかけた頗るモダンな建物」
昨二十日から開館した大軌直営(現近鉄)あやめ池温泉は工費約四十万円、延坪九百坪のドイツ近世式といふすこぶるモダンな大建築で、円天井の明るい男女大浴場をはじめ特別浴場、撞球(ビリヤード)室、新聞雑誌閲覧室、遊戯場、階上には余興室、囲碁室、カフェーがあり、屋上には展望台、地下室は大衆食堂で新しい試みは浴場に絶えず、冬は暖かく夏は涼しい空気を送る装置や周囲の間接照明、さては入湯生理応用の便所などである。
家族室はうつくしい日本座敷で時間貸しをするなど全く都会式で居心地よくつくられてゐる。
二十日から三日間は歌舞伎を加えた余興が行われ、付近には「あやめ新地」と称する芸妓置屋の一画を新設すべく目下工事中である。
ネットで見ることが出来る『明治後期から昭和初期の大阪近郊における遊園地と花柳街:都市娯楽施設の史的研究』安野彰著によるとこの昭和四年に駅の南側であやめ池温泉に検番と料理旅館10戸前後が建設されました、とあります。
さらに同研究から、大阪朝日新聞奈良版 昭和5年11月20日より
貸間を遊園地に建築。午後三時から夜九時まで使用料一円五十戦、朝から終日使用の場合は二円五十銭で新地の芸妓も呼べる。
同6年1月21日より
新地の芸妓は目下四十三名、花代八十銭、遊園地経営の借間を加えて料亭二十余軒もあるだけに弦歌さんざめき芸妓は八十%の売れ行き。
同6年4月7日より
遊園地の貸間は姐さんも呼べるので日曜祭日は満員箱切れの有様だが温泉貸間も同様だが家族風呂は開いている。
との記述を引用させて頂きましたが、これらは同紙面の“各地たより”の“あやめ池”の欄に記されていたもので、私ならたぶん見逃していたと思います。
『伏見町史』のあやめ池温泉場(2)によると
温泉場の盛況はそう長くは続かなかった。初代・二代の場長が若くして急死、終戦まえには燃料不足もあって、昭和十八年には閉鎖された。戦後は進駐軍の宿舎やダンスホールで賑わったが、数年で閉鎖。いまは、その建物も、とりこわされてしまった。
地元の現在九十歳の方から間接にお聞きしたところ戦後も芸者はいたとの事でした。




