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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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京都パンパン赤線時代、六十九

京都パンパン赤線時代、六十九_f0347663_14043857.jpg
                 嫁入り道具を買いためる娘も
 
昭和29年11月3日の京都新聞夕刊にて一面を「人身売買 デフレの園に咲く夜の仇花」の記事が載りました。

京都市内には当時七つの色街があり接客婦(戦前娼妓と呼ばれた女)千六百六十三人、芸妓六百五十二人、業者八百五十六軒を数え、接客婦は暫増、芸妓は漸減の状態、その他温泉マークやホテルなどに女を雇う闇業者約百軒、外国人相手の街路婦も約三百人いました。

【島原】お茶屋十八軒、貸席七十五軒、接客婦約は百八十人、大部分が九州、中国、山陰地方の女

【五番町】業者九十四軒、接客婦は平均二十三歳で三百人ほど、月間百人が移動する。

【中書島】客筋は地元より京阪、奈良電沿線が多い。貸席、お茶屋は六十七軒、接客婦は百九十人で九州、四国、三重、岡山、大阪近辺、鳥取、島根方面が多い。

【祇園東新地】業者は百六十六で芸が売り物の甲芸妓四十六人、接客婦の乙芸妓百四十人、乙芸妓の八割がバー、サロン、料理店で働いた経歴を持つ。

【宮川町】お茶屋二百七十二軒、芸に生きる芸妓九十二人、女中さんと呼ばれる接客婦二百人

接客婦の売買行為は二十三年制定の職安法で厳禁されているため、楼主たちは表面上“新規抱えの接客婦は全部他遊郭(赤線)や地方から自発的に来た女”と語っているが、実際月間六百人(全体の三分の一)の転入者の半数以上が人買業者の手を経てるといわれ、その半数は毎月地方から実質前借金の形で送られてくる素人娘でした。

悪徳業者は貧困で家族の多い家庭や天災、人災から斡旋を求める婦女の無知に付け込み、最高十万円から五万円平均の前借金の過半をピンハネするのはあたり前でした。

一般的には“よい就職先を世話する”と貧困家庭の子女をつるが、最近では本人よりその親を直接説伏せいやおうなしに連れ出すという。

中にはダンスホールや盛り場などに出入りする娘にヒロポンを打ちポン中患者に変え“都会へ行けばいくらでも打ってやる”と連れ出す悪質な例さえ生まれていた。

接客婦の収入は一ヶ月に一万円から五万円で衣類と食物のぜいたくな彼女たちだから金を残しているものは少ない。

接客婦から結婚して行くものは月々四パセントあるが十人のうち九人までが失敗している。原因は

*相手の男に相対的にまじめな職業の者が少ない

* 奥さん稼業が馬鹿らしい

*男の親戚から疎んじられる、

等だが根本的な原因は自分だけで食っていけるという自信があるためとされていました。

全国四十都市の二十~五十九歳までの男女三千人について前年労働省が行った調査で

売春業者をどう思うか―について悪いが70%を占めたものの。

社会にとってこのような場所は―の問いに対し、不必要が38%に対し必要27%、ある程度必要25%

なくすのに法律で禁止するのは―では賛成37%、反対37%、わからない26%という結果がでていました。

大雑把にいうと当時の国民は売春婦は必要悪と映っていたと思われます。





by gionchoubu | 2019-01-07 14:13 | パンパン、赤線 | Comments(0)