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花街 元林院ぞめき 四

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                      萬玉楼
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当家はもと「萬玉楼」という芸者置屋でした。この建物は時代の異なる三棟の主屋からなっています。

北から大正頃の数奇屋風の建築、江戸時代中期の町家、明治初期の町屋で、処々華やか時代の名残が感じられます。

中央の建物は家伝により文化年間(1804~1817)の建築と考えられていましたが、建物の改装に伴う奈良市教育委員会の調査で棟札が発見され、そこには大工棟梁などの人名とともに「寛保二年(1742)五月六日」の年号が記されていました。

以上が萬玉楼に掲げられている絹谷家の説明の一部です。

元林院芸妓組合で、萬玉楼三代目絹谷政治氏は、もともと紙屋だったのが明治になって置屋を始めたと歴史を語っています。

さらに、萬玉楼の置屋転業にならうようにして町内の遊女屋が置屋に転業したとの事です。

萬玉楼には、伊藤博文、志賀直哉とかいった大臣、小説家連中も多く顔を見せ、

「伊藤博文さんはここの二階で泊っていったこともあると聞いています。家まで来るのは、よっぽどのお客さんですわなあ。志賀直哉さんなんかもよくここで酒を飲んだものです。わたしが十二、三歳のころやったかな、芸妓が横で酌をさせながら、わたしの母をつかまえて世間話をするんですよ。」と絹谷さんは当時を振り返りました。

同氏は買春防止法四日前、昭和三十三年三月二十八日の「山和タイムス」で

「全く話にならない。南市が花代をあげたのでこちら(元林院)は景気がよいはずだと見る人もいるが、昨年の三分の一程度です。営業時間十一時がやかましくいわれるので、芸妓も十一時になるとこわいようにして帰ってきます。営業時間の延長をなんとか認めて欲しい」と言いました。

昭和五十七年時、元林院の置屋が七軒、芸妓は三十六人、萬玉楼には二人のみになり、その現状に対し絹谷氏は

「芸妓を紹介してくれる口入れ屋が、職業安定所というものが出来てからなくなってしまったからです。それにおちょぼ(小さい女の子)も、義務教育とかやかましく言われるようになって居なくなってしまいましたね。」

参照:『奈良いまむかし』

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京都の花街では玄関の上にある鍾馗さん、元林院では屋根にあるのが特徴です。



by gionchoubu | 2018-12-16 13:16 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)