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花街、元林院ぞめき 二

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    南市町

元林院娼が妓を廃止して、芸妓だけの花街に転進した件で『奈良風土記』の抜粋で「明治二十七年県令で女郎屋を廃止し、芸妓本位となり、娼妓極めて少数となる」の既述を紹介しました。

この年には若干の違いがあり、松川次郎著『全国花街めぐり』では明治二十四年それまで芸娼妓半々であったのを古澤知事時代に遊廓をつぶして、純然たる花街にしたと書かれています。

『郷土研究上方 上方遊廓号』では明治二十八年木辻遊廓が隣接の瓦堂町を遊廓区域に編入したとき、元林院はここに移転する事になった。併し実際移転したものはなく、元林院は明治三十二年二月末日限り廃止となり芸妓のみになった、とあります。

一番遅い郷土研究上方の明治三十二年を取り上げても大阪の北新地より早く娼妓なしの花街を誕生させた事になります。

ただ、この時代に関西に芸妓だけの花街を経営するのは業者にとって至難の業ではなかったかと思います。京都では上七軒にも祗園にも先斗町にも、昭和になっても娼妓はおりました。

芸妓はお稽古も必要、着物、楽器、舞妓から仕込むのにお金と時間と労力がかかり、検番、歌舞練場などの施設も必要です。それを支える旦那衆も必要不可欠、それに比べ、身一つでコンスタントに花名を稼ぐ娼妓は遊廓のポイントゲッターと言えると思います。娼妓を仕入れる初期投資は必要なものの、費用対効果は芸妓と比べ物にはなりません。

昭和十二年大阪の南地の芸妓が地位向上を訴えて、一部の芸妓が奈良の信貴山に立て篭った“信貴山ストライキ”が一大センセーションを呼びました。この時交渉に当った南地の取締りは、芸妓組合の承認を迫った芸妓に「遊廓がお皿なら娼妓はお寿司で、芸妓は生姜みたいなもので、偉そうにいう権利はない」と言い放ったといいます。

これは取締りの本音だったのでしょう。

遊客も、芸妓とお茶屋遊びをしてほろ酔い気分で奥さんの元へ・・・という時代ではありませんでした。娼妓のいる木辻遊廓まではそこそこの距離があります。

さて、明治四十四年に検番が出来ました。そして大正十二年隣接南市町に奈良検番株式会社が出来、元林院検番は元検又は古検、奈良県の方は新検とも呼ばれ、

元検に属する芸妓置屋十九軒。芸妓百三十五名。

新研に属する芸妓五十七名。幇間一名、やとな七十三名

やとなに関しては以前このブログで随分分書いてみました。やとなは雇い仲居という酌人の鑑札で座敷に侍る擬似芸妓の様な存在で、元林院では俗に“乙種”と呼ばれていました。

遊廓で甲乙制をとったのは大阪の南地五花街、京都の祗園、五番町などがあります。また芸妓をおかぬヤトナの遊廓、花街としては大阪の新世界、広島の竹原、三重の住吉町などが思い浮かびます。

私はこの南市のやとなこそ娼妓の役割を担っていたのではないかと思っています。


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by gionchoubu | 2018-12-06 12:58 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)