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by gionchoubu
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大和郡山 洞泉寺遊廓ぞめき 二

明治十一年、郡山に検黴所が設置され娼妓は毎月六回検査を受けました。
『奈良県統計書』によると、奈良県添上郡郡山洞泉町には
明治12 貸座敷12 娼妓61
13 12 67
14 11 50
15 12 59
16 13 57
17 13 50
18 13 53
19 12 34
明治二十四、五年ごろ遊女が表通りに面する格子の中におり、これを遊客が品定めをするという張店は禁止されると、洞泉寺遊郭でも、貸座敷の中で娼妓を見せる陰店に改造しました。
又入り口に角行燈を出し、娼妓に全て客がつくと行燈をしまい、応ずる娼妓がいないことを遊客にしらせました。
ただこの陰店も大正十三年十月三十一日で禁止されると、以後は写真で娼妓を選ぶ様になりました。
その直前の大正七、八年頃は財界好況時代で洞泉寺遊郭も大いに賑わい、娼妓一人、一ヶ月に千円近い花代を稼ぐ妓おり、日々銀行に預けに行くのも決まり悪く、暫らく一室に為置いてかためて持っていくという話もありました。
妓楼の店構えも立派、客扱いも親切、気楽に遊ばしてくれると評判もよかったようです。
大正十一年に納屋と蔵が大正十三年に本館と座敷棟が建てられた川本楼が現在町物語館(旧川本邸)として一般公開されています。
見事な木造瓦葺三層楼で、三階は三畳の客間八室、四畳半の客間一室、八畳の客座敷、便所
二階は三畳の客間六室、四畳半の客座敷一室、九畳の案内所一室、髪結場とプライベートとおぼしき部屋が四室
一階は茶室、大広間、中庭、浴室、料理坊、帳場、仏間、会計部屋、便所など、
面白いのは娼妓溜の部屋が玄関を入ったすぐ左にあり、これは表向きは写真で娼妓を選ぶ事になっていたものの、所謂陰見世として、遊客は娼妓を実際目で見て女を選べた機能を持っていたのではないかと思います。
川本楼ができた大正十三年に陰店は禁止になりましたが、実際どのような状況だったかは今後の課題として残ります。
現在この建物は登録有形文化財として大和郡山市が所有、耐震工事の後、平成三十年一月より一般公開が始りました。
兎に角関西では、島原の角屋、橋本の貸座敷群、七条新地(五条楽園)と並び、遊郭に興味のある人なら絶対見ておくべきだと思います。
『全国遊廓案内』昭和五年発行によれば、すぐ近くの東岡遊廓より、建築に於いても、設備に於いても、その他あらゆる点において一歩譲っているとのこと。
貸座敷は十七軒で、遊興は時間制か仕切花制、廻しはとらず、娼妓は送り込みで、店は写真式、台の物は付かないと、東岡遊郭と同じです。
又遊興料金も東岡遊郭とほぼおなじでした。













