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by gionchoubu
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大和郡山 岡町ぞめき二

昭和二年八月二日の『大和タイムス』によると、郡山の料理業者より成る共栄会が東岡の花代一時間一円に対抗するため、一時間八十銭で新検を立ち上げる様県に許可願いを出したところ、東岡と同じ一円で許可されました。
『全国遊廓案内』昭和五年刊によると、郡山東岡遊廓は娼妓百九十人
旭楼、今村、竹島、藤近、千歳、大阪楼、都楼、笹の屋楼、壽楼、岡吉楼、ヨカロー、揚喜楼、御多福楼、河卯楼、寶山楼、駒川楼、恵比須、第三清月、錦水楼、清月楼、寶栄楼と貸座敷二十一軒。
娼妓は送り込み、廻しはとらず、台の物は別会計、遊興は時間制か仕切り制で、たとえば日没から十二時まで七円でした。
さて、この時代、廃娼運動が盛んに行われておりました。
昭和三年、女権同盟が各方面へ公娼廃止を訴えたすぐ、昭和四年島原の娼妓が堀川へ自由廃業の駆け込み訴えた事があり、この年の十二月、大阪地裁は橋本遊郭瓢楼娼妓の自由廃業無罪判決が下されました。
時を同じく昭和三年五月一日の『大和タイムス』に以下の広告がのりました。
芸娼妓自廃手続代理 借金と稼業は別個の問題、何時でも自由に廃業や結婚はできます。お知らせなさい助力いたします。*郵券十銭封入申し込みあれ*
* 自由廃娼論一部贈呈* 大阪此花区 嶋村某
そしてこの記事が出た翌年の昭和四年八月一六日の『大和タイムス』に
「郡山の娼妓が二人自由廃業をくはだつ 旭楼と笹の家のへ妓 楼主側は大狼狽」
記事の内容は郡山の東岡遊郭旭楼の抱え娼妓(19)が登楼客で社会主義者のKと謀り自由廃業を企てたので楼主は狼狽、Kと折衝中、
楼主側“本人は全く自廃などのことは知らず主義者が扇動したものですと語っている。一方Kは「本人の自由意志を束縛しているものであくまで合法的に自廃を実行せしめる」といきまいている。”
また同遊郭の笹の家の娼妓(21)は買い物と称して出たまま逃走、大阪婦人ホームに駆け
込み自廃を希望しているので同楼は婦人ホームに交渉中とのこと
新聞記事の文面は楼主側についていると考えざるを得ない表現が有り、当時の世間の風潮が知れて興味深いものです。
