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柳沢淇園 『ひとりね』

柳沢淇園 『ひとりね』_f0347663_12345985.jpg
                     島原太夫

奈良の大和郡山の遊郭について書く前に是非紹介したいのが「ひとりね」を書いた柳沢淇園(やなぎさわきえん)です。

宝永元(1704)年江戸に生れ、“余も、生まれたる年(実際は翌年)に甲斐の国にゆき、十四の年より江戸の古里へ帰り、十六の春又甲斐にゆき、その暮に又江戸に帰り、十八の暮又甲州に帰りて、又今年大和(郡山)へ来りぬ”と大和郡山まで来るまでの生い立ちを書いています。

七歳にて馬廻役で二千石を与えられ、大和郡山では十五万石の重臣、ひとたび江戸にはいり吉原の妓楼にのぼれば、無類の遊び手として振る舞いました。

「ひとりね」の中で淇園は“女郎買て慰は、水遊びの上もり(女郎ぐるいの最高)、世界のたのしみの極意にして、人間の是より真のたのしみなし。”と言い切った人で、文中では女郎を女郎様、一般の女を地女と蔑む徹底振りであります。

“女郎さまと地女とは雪と墨とはおろかな事。大仏と松風丁字胡麻ほどの違ひ”と言い地女のいやな所を並べた後“女郎さまは音のまく香もなしといふ上天の人にして、其匂ひ緋縮緬の下紐の本にありがたく、松栢の元に舞ひ蘭園のうすうすとしたる所をめぐる。其かたち至極恭し。まづ心音にときめき、目の病をいやし、酒病をとく”と、神を敬うが如きです。

さらに“昔も今も、遊女と言へば、只人を唆し、悪し様の風俗とのみ思う人多し。いかにも、其勤めのならわしにて浮きたる事のみの様なれども、さまで卑しめたるものにあらず。是はこの道にくらき故なり”

驚くべきことに「ひとりね」が書かれたのは淇園が二十一の時、只の道楽息子が書いたものなら、この書が後世に伝わったかどうか大変難しいかったでしょうが、なんせ彼は二十歳そこそこで、儒・漢詩文、唐音、仏教、書、画、篆刻、鼓、三味線、河東節、俳諧、香道、武芸の諸技にも長けており、『近世奇人伝』にて「文学武術を始めて人の師たるに足れる芸十六に及ぶとぞ」と感嘆されていたのです。

特に画才は只ならぬもので十五歳で恵林寺の羅漢図の依頼を受けたとあり、日本に於ける文人画創始者の一人に数えられています。

とにかく二百ページが殆ど吉原の女郎(花魁の言葉は見えません)や京の島原の太夫のことで、奈良の都の木辻遊郭の記述もあります。

司馬遼太郎は『街道をゆく21近江散歩、奈良散歩』で柳沢淇園の『ひとりね』をただならぬ随筆集とし、江戸時代の文化を知る上で重要な書き物と位置づけ、自分の好きな人物として紹介しています。

遼太郎は、ひょっとすると江戸期の武家の女、町家の女、農家の女はテレビの時代劇などで演じられている程には魅力的な存在でなかったのかもしれない。それに対し廓の女は、楼主が諸芸の師匠をまねき、歌道、茶道、香道などを身につけ、さらには立居振舞を典雅にさせ、いわば大名の姫君にも無いほどの気品を理想像とさせた、踏み込んだ解釈をしています。

そしてひとりねの“女郎を請け出す時、一斤半斤といふ事あり。たとへば千両にて請け出したる女郎は、廓を踏み出すと五百両に位が見ゆるものなり。五百両は廓の門口より、いづくともなう失するものといふ”

を引用し、女郎を我が物にして廓から連れ出したとたん、幻覚が半分落ちる・・・廓という幻覚こそ文化だということでもあるのだろう、としました。

なるほど、廓という幻覚が文化だったのです。



by gionchoubu | 2018-10-30 12:39 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)