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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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宮川町ぞめき その十一




宮川町ぞめき その十一_f0347663_12572555.jpg

       2008年の画像です。翌年か二年後に上演中の撮影禁止になりました。

明治五年京都で博覧会が催され、その附博覧会として京都府から祗園の都踊、先斗町の鴨川踊、下河原の東山踊、宮川町の宮川踊を命じられています。都踊、鴨川踊、東山踊の記録は残っていますが、宮川踊の番付や詳細も噂も何もないので、田中緑江さんは実際は行われなかったのではないか、と書いており私も掛け声だけで終ったと思います。


宮川町の歌舞練場は大正五年四月に落成、昭和十九年に戦時体制で大阪砲兵工廠の皮包工場になり、終戦を迎え昭和二十年十月米軍のダンスホール、キャバレーに改装、そして二十五年に京おどりが始りました。

昭和三十二年十月五日の京都新聞で「秋のおどり対談」が楳茂都流家元で宮川町の踊の師匠で京おどりの振り付け担当者の楳茂都陸平と元映画の演出家で上七軒歌舞会顧問として舞踊劇などを演出していた石田民三の間でなされています。

宝塚歌劇の“ジャブジャブコント”や大劇の踊りやレビューも演出する陸平は花街の踊りについて

「芸妓の踊りはあくまで芸妓の踊で、レビューになってはいけないというのが私の持論です。芸妓は芸妓らしい踊りをしなければならない。レビューガールや女優じゃないのですから。」

「私は花やかで、色気がなければならないと思っています。内容、表現にこの花やかさと色気がほしいですね。舞踊劇にしても役者のと、芸妓との相違はこれでしょう。」

そして「芸術づいてはダメですよ。」

レビューとは踊りと歌とを中心にコントを組み合わせ、多彩な演出と豪華な装置を伴うショーでパリが起源となります。

京おどりは当初から群舞の踊りに定評があり、今もフィナーレを飾る三世今藤長十郎作曲の宮川音頭が絶品で私も毎年見させていただいています。

専門的な事は分かりませんが、最初は少人数で始められプロローグから始り、唄に対し動きがシンコペーションになって部分がアクセントをつくりいつも感動します。

昭和二十九年の第五回の最後は第十二景「扇流し 末広模様」という長唄がフィナーレです。

翌年の三十年の第六回の第十一景「彩る錦」という題で、現在の宮川音頭が別の題名で初めてフィナーレを飾ったと思います。なぜなら他の歌詞は全く違うものの「国へ土産は都紅、納豆、八ッ橋、みすや針、すぐき、柴付、五色豆、みやげばなしは、みやげばなしはヨーイヨイヨイ京おどり」と現在と全く同じ歌詞が最後の歌詞で歌われています。

翌年の第七回に初めて第八景で「宮川音頭」のタイトルになりましたが、国へ土産は都紅~の歌詞を含め現在の歌詞は全く出てきません。。

この後も宮川音頭の歌詞は一定せず、現在の歌詞になるには長い時間を要しました。

振り付けは楳茂都陸平です。

宮川町ぞめき その十一_f0347663_12253978.jpg
                    宮川音頭の始まりです。
宮川町ぞめき その十一_f0347663_12251290.jpg
宮川町ぞめき その十一_f0347663_12204526.jpg


by gionchoubu | 2018-09-24 12:42 | 宮川町 | Comments(0)