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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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宮川町ぞめき その十

宮川町ぞめき その十_f0347663_13001257.jpg
         舞踊「末広がり」宮川町芸妓、高木叶乃、馬場若瀧 大正十三年

昭和二十九年に文芸春秋新社から出版された『風流抄』船橋聖一著に赤線時代の宮川町の事が載っています。

芸者屋や娼妓置屋は小方屋(こかたや)と呼び、芸妓の花代が一時間330円で先斗町より少し安い。娼妓(戦後娼妓は制度上ありませんので宮川町では女中と呼ばれていました。)は一時間385円とあります。

筆者は、お連れの写真家と、当時の組合長が経営していた遊嬉楼に揚がると、娼妓が入る小間でなく、只散財するだけの散財部屋に通され、芸妓、娼妓の会長、副会長に会っています。

芸妓では年菊、よし子、きん子そして十八才の舞妓、年祐に合い、年祐は姉さんに「先生に東京に連れていって貰うて、女にして貰いなはれ、」などと本当か冗談か言われています。

副会長の娼妓は看護婦さんか家政婦さんのようで、頽廃的なところがどこにも無いという印象を聖一は持ちました。

宮川町の中には亭主持ちの娼妓もいて、朝の客を送り出すと、着物を替えて、自分の家へ帰って行き、夕方までは女房役を務め、夜になれば廓に戻りました。亭主は戦争出で傷を受けたり、あるいは長い病人で、女房の非常手段を認めざるを得ない人達でした。

『京の花街』渡会恵介著によると、この旧習はこの著書が発売された昭和五十二年ごろも続いており、芸妓ばかりの“芸”の町と化した宮川町には所帯持ちが多く、芸妓の約八割まで“家”を構えていているが、結婚しているわけでなく“所帯主”という意で、月二回の休日に、日頃たまった雑用を一度に片付けている。

宮川町の特徴は芸妓でも、娼妓でも五日働くと三万円だけは信用金庫から貸し出すことになっており、日歩は三銭五厘、年利で一割二分との事でした。

昭和二十八年には大阪の南地の名物であった芸妓の宝恵籠行列が、正月の宵えびすで宮川町の芸妓を載せ市内を周りました。。これは昭和三十六年の阪急地下鉄工事がきっかけで無くなりましたものの、現在東映の女優さんが乗り伝統は続いています。

昭和四十四年に学校法人東山女子学院が発足し、宮川町の芸・舞妓は全てここの生徒で、毎年一月七日の始業式を“技芸初め”と唱えました。初代の校長は舞いの師匠である楳茂都陸平で、芸能化・社会科の二部制をとり、社会科では英会話なども取り入れました。外国人の花代が二倍と決めてあったのも外国人客を意識したものと考えられます。

お茶屋の駒屋の先代も先進性のある方でGEISYA HOUSEで売り出したこともありました。

この駒屋と親戚の石初が現在でも宮川町の双璧になります。



by gionchoubu | 2018-09-20 13:02 | 宮川町 | Comments(0)