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娯楽の殿堂 美松 その三

昭和29年6月30日の京都新聞によると、新京極の“一パイ横丁”の誕生は終戦直後、闇市がはやり、いかがわしいカストリが横行した二十一年の春、露天の希望者とキャバレー美松の客寄せ策が一致して、美松の軒際を一時的に貸したことから始まりました。
そして日が経つと、衛生法や建築法が次第に厳重になり、美松の手で美松の南北両側に軒店二十五軒を建設して一パイ横丁が出来ました。
ところが、美松では周辺の美観や防火の観点から、軒店を立ち退かせるため、昭和25年調停裁判に持ちこみ、調停委員によって四年間の猶予期間付明け渡しの調停成立、其の猶予が昭和29年6月30日で満期となりました。
一方借家側はこの調達成立で“四年間の寿命”と見定めるや十数万から数十万の権利金(家賃は千五百円)で他に譲って逃げ出し、元からの店はたった四軒、二十一軒は調停の事も知らずに権利金を払って入った可能性があったようです。
この問題を調停当時からとり上げた宗教家、阿刀土彦氏らは、花月劇場横の空地(市の管理地)の提供を市に陳情、市ではここに都市計画を計画に基づく緑地公園をを計画しており、かつ密集地の避難地として提供を拒否しました。
現在の新京極公園です。
美松側は調停通りおだやかな明け渡しを希望しているが、借家側が居座るなら強制執行も辞さないとハラを決めました。
美松吉村支配人談
「終戦間もないころはまあよかったが、現在は事情が許されなくなった。温泉ができてその採光のこともあり、従業員の厚生施設も十分にやれない始末だ。
また、消防局や府建設課からも警告を受けている次第で、今更とやかくいわれるフシはない。
こっちは法に従って穏かに事を運びたいと思っているので速やかに明け渡しを完了して欲しい。」
との事でした。
昭和31年の住宅地図を見ると北側に十一軒の店が確認できます。
北側の一番東に現在も営業されている喜の屋があり、中央辺りに最近までの営業がたべログなどで確認できた京極食堂の名も見えます。一番西にはその二階の意匠がお寺風で私自身が以前から気になっていた、現在古着屋の場所がまる八というお店だったのも確認できます。
兎に角31年版は、北側も南側も字が小さく判別が難しいので南側は昭和34年版で西から確認すると、美松ナイトクラブ・新温泉・食堂と美松関係並び、平井遊技場、スタンド万平、松すし、バーフローラー、バー双園、スタンドふりそで、バープラージ、多摩川・ちどり、となりました。
現在これらの店は存在しません。
ですから、立ち退きが成立したのは南側だったと思います。

