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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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上品寺と法界坊の鐘

上品寺と法界坊の鐘_f0347663_13545194.jpg
                   花扇と法海の名前が刻まれています。

法界坊といえば歌舞伎『隅田川続俤』(すみだがわごにちのおもかげ)で、吉原で浄財を使い果たす破戒僧として堕落した姿で描かれています。

実はこの法界坊のモデルは滋賀県、中山道の上品寺(じょうぼんじ)の七代目の了海がモデルで実際は堕落僧どころか、志の高い僧侶でした。

この上品寺で配られていた『法界坊釣鐘縁起書』をみると、法界坊は十九歳の時師匠の譲りを受けて上品寺に住することとなったものの寺が非常に荒れ果てていたため、これを復興する為江戸に行き町中を托鉢して周りました。

そして吉原の花魁、扇屋の花里は仏法に志が厚く、それがため法界坊に帰依して熱心にその法話を聞き入りました。

法界坊は花里の許に行き女人の罪業のひとしを深重なることを諭し、弥陀の本願はかかる罪業深き衆生を救わんとして起し下さったという有り難い趣を諄々と説き聞かしました。

花里は法界坊が寺の釣鐘を建立する為江戸で托鉢をしているのを知ると

「自らは浮川竹の遊女の身であけくれ綾錦を身にまとうといえども露ばかりも善根をなした覚えもなく父母菩提のため又我身後生のため聊かにでも報謝の布施をさせていただきたいものです。」・・・自分は罪深い遊女で美しい着物を着ているものの、善行を全く成したことがありません。是非お布施をさせてください・・・

花里は喜んで廓内の寄付に日夜奔走したがその途中で惜しくも胸を患い病死してしまいまいた。

姉の花扇は花里の薄命を深く憐れみその志を受け継いで自ら先頭に募財して廻り遂に釣鐘建立の資金が調い、鋳物師の西村和泉守藤原政時の手で鐘は完成しました。

法界坊は完成した釣鐘を地車に載せ自ら曳きもって遠路二百余里東海道を引き下り故郷上品寺に帰着しました。

明和六年(1769)年の事でした。

鐘の供養をいとなんだ夜、法界坊の夢の中に花里が現われ、「自分ははかない無常にて相果ててしまったが、鐘を為した功徳により即身観世音菩薩になりました。」

法界坊が目を覚ますと不思議にも枕元に一体の観音像が置かれていたといいます。

破れ衣に伸び放題の頭髪、念仏を唱え喜捨を求めて大江戸八百八町を歩着回った男はさぞかし江戸の町では評判になったのでしょう。歌舞伎では好色でコミカルな破戒僧として本人は決して望まなかっただろう姿で描かれた法界坊。

しかし世の中とは数奇なものです。この鐘は歌舞伎の題材となって有名になったお陰で戦時中の供出を免れ現在もその姿を見る事が出来るのです。

法界坊の執念たるや恐るべし。



鐘の周囲には花扇を始め寄進者の名前が刻まれています。

上品寺と法界坊の鐘_f0347663_14015171.jpg
                       花里の名
上品寺と法界坊の鐘_f0347663_14025664.jpg
上品寺と法界坊の鐘_f0347663_14050690.jpg
                    法界坊が鐘を運んだ台車
上品寺と法界坊の鐘_f0347663_14062994.jpg
上品寺と法界坊の鐘_f0347663_14065519.jpg

by gionchoubu | 2018-08-14 14:00 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(3)
Commented at 2021-09-30 19:12 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 岩崎良三、黒川弘務 at 2021-09-30 19:13 x
藤崎八郎、佐久間采那
Commented by 上品寺 at 2021-09-30 19:14 x
上品寺