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大津 甚七町 花街

f0347663_11043365.jpg

甚七町遊廓は花街の様相の強い町でした。

昭和四年の『技芸倶楽部』の花街小品というあまり大きくない京都周辺の花待を順次紹介するシリーズの九に大津稲荷新地がとりあげられています。

大津の他の花街「柴屋町の喧騒もなく真町とはまた落ちついた感じのあるところである」と紹介されています。

馬野町人という筆者は、俵家で大たつのたま、たわらやの春次、滋賀千代の一若を呼んで飲めや唄へと大陽気にやりだし、大津の里のおもしろさを堪能したようで、

「流連(いつゞけ)によし散財によしおもしろい所である。土地の狭く、通りも細く軒と軒との触れ合いそうなのも面白い町の姿である。」

さらに、『季刊 湖国と文化 第112号』の甚七町の稲荷新地で著者の高橋勉氏は戦前の甚七町の思いでを語っています。

まず稲荷新地の象徴であるお稲荷さんの祠がお茶屋街のはずれあり、側に大人の腕で四抱え程もある太い幹に注連縄の巻かれた銀杏の木があった事。

表の浜通りから浜に向かう三本の路地(いちばん東の路地は恒世(つねよ)川沿い)が先でつながり、その一帯に京格子のはまったお茶屋が軒を連ねていた事。

数え年五、六歳の筆者は杵屋という置屋の二人の芸者に可愛がられ、決まって三時になると銭湯へ一緒に行った事。

陽が落ちると、お茶屋の軒先に灯がともり、寿乃屋(ひさのや)、俵屋、吉野屋、枡屋、大玉といった店の名が門灯の白いガラス被に浮かび上がり、二階から三味線の音が聞こえると、新地の夜の情緒はいやがうえにも高まった事。

そして新地に一軒カフェーがあり、「青い灯、赤い灯、道頓堀の・・・」などのメロディーが流れ、客引きの女給が外にでていた事・・・

甚七町の花街情緒が目に浮かんできます。

この甚七町の花街は太平洋戦争中に無くなり、戦後復活することはありませんでした。

『近江今昔』中神天弓著によると、

江戸時代、公儀の目付は浜通りが大井川であると狐に騙され、手拭を頭にのせ、裾をからげ、狂言の出方のように“浅いぞ浅いぞ”と川を渡る。向うの方では肩まで着物をまくりあげて“深いぞ深いぞ”と答えて渡る。

近所の人はまた狐に騙されとると大笑い。これではというのでお稲荷さんを建てて、やがて遊廓ができた。

狐はいなくなったが、それから客をだます芸姑が出来た。




by gionchoubu | 2018-07-28 11:04 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)