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by gionchoubu

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守山宿の飯盛女

守山宿の飯盛女_f0347663_16152249.jpg
                       守山宿

江戸期において、京と江戸を結ぶ東海道五十三次にはすべて飯盛女という娼婦がおりました。滋賀においてもその宿場として、大津、草津、石部、水口、そして土山にも当然宿場女郎はおりました。

同じく京と江戸を結んだ中山道はどうだったのでしょう?東海道は矢張りメジャーで宿場の規模も大きく、道中に主要都市もあり、おびただしい道中ものの艶本が存在します。

脇役の感が否めない中山道にも宿場女郎がおりました。ただし『飯盛女 宿場の娼婦たち』五十嵐富夫著で見ていくと、飯盛女の話は東京側に多く、東より倉賀野宿、板鼻宿、安中宿、坂本宿、追分宿、小田井宿、長窪宿、和田宿等での記録を見る事が出来ます。

上記以外、和田宿の次の下諏訪宿は温泉場でもあり、旅籠から出女が往来の男客に呼びかけ袖をつかみ客引きをしました。ここでは女郎を置かない平旅籠はほんの数軒だったとの事です。

さらに深谷宿も、たいへん盛んだったようで、渓斎英泉の浮世絵には意気揚々と宿場内を褄を取りながら闊歩する飯盛の姿を見る事ができます。

ただし、『諸国遊所競』によると東海道では遊所として品川、浜松、小田原、吉田、府中、四日市、桑名、白須賀、岡崎、大磯、平塚、三島、川崎、掛川、草津、沼津、戸塚、蒲原と多くの宿場が載ります。

一方中山道の方は、東海道の五十三に対し六十九あるのに対し、東京の板橋と熊谷、本庄とずい分見劣りします。

尚、滋賀県の草津も載りますが、これは東海道と中山道をかねていますので、東海道が十九箇所数えるのに、数の多い中山道は、草津をいれて僅か四箇所と、江戸時代の後期の認知度はずい分低かったと言わざるを得ません。

さて、滋賀県の中山道の草津の次の守山宿の事情はどうだったのでしょうか。

『守山市誌』によると守山宿は宿高が近江八宿の内、高宮、柏原について三番目、本陣(大名が宿泊)が普通一つのところ二つ、脇本陣(家老などが宿泊)一、旅籠が三十軒ありました。

宝永四(1707)年の史料に「守山宿の旅籠屋に飯盛女を置くことは先年許されたことであるが、腰掛茶屋や料理茶屋などに五人、三人と召抱えて遊客の好みのままに酒席にはべらせ三味線や太鼓まで持ち出すなど、風俗、所行など全く売女同様で似ての外不埒である。厳しく申し渡して差し止めよ。」のお達しがだされておりますので、間違いなくいた事になります。

これは他の宿場でも同じようなものだったらしく、幕府は享保三(1717)年に旅籠屋一軒に付き飯盛女二人までの布令をだしました。




by gionchoubu | 2018-07-20 16:18 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)